ノベルる

幻の時刻表

砂野 徹作
釣りはちょっとした大漁だった。
せびれのある長靴やえらのあるヘルメット、
八本脚のペットボトルなどがクーラーボックスに
詰まっている。
田舎町だが海に近いのはいいことだ。
すれちがうひとの頭がウニだったり
電線に列を作ってとまってるのが
トビウオだったりするのも風情がある。

ぼくは釣りが好きなのだが、今日は休みではないのに
なぜ釣りをしたんだろう?よくわからない。
白っぽい道路を車が何台も次々にびゅんびゅんと
すぎてゆく。
たとえばこの道がぼくの職場で、
そうだぼくは路線バスの運転手だ。
今は魚箱をたすきにさげ釣り竿を立てて歩いてゆく。

ああ、バス停がひとつある。
一人の若い女が立っている。
いや、立っているのは標識だけだ。
しかし女が・・・ああ、近づいたらわかった。
昔ながらの標識、根っこは四角錘のコンクリで
鉄柱を立てており、
その上にワンピースを着た女の上半身。
「あら、ハギマルくん。釣り?」
話しかけられてきづいたが女はミラちゃんだ。
同僚アクタセの婚約者。

ミラちゃんはにこにこしている。
同じバス会社の事務員だ。
ここでバスを待っているのか?
ひとりでどこへ行くのだろう。
アクタセが待つ場所へむかうのだろうか。
ここへ来るバスの運転手がアクタセなのか?
・・・頭がクラクラしてきた・・・・
なぜだ・・・・。



ぼくはしゃがみこんで歩道の路面に両手を着いた。
このクラクラは二日酔いのクラクラだ。
そうだ、飲みすぎたんだ。
パチンコで言えないくらい負けてしまって
やけざけというやつだ。
だから・・・だから今日は休日ではないのに
バスを運転していない。ほんとうは、
ほんとうは今ハンドルを握っているはずなのだ。


「ハギマルくん、釣り?」
ミラちゃんの声が魚箱の中から聞こえたので
ぼくはしゃがんだままふたをあけてみた。
中には藍色の水だけが揺れていてさざなみが
ミラちゃんの顔の形になって、すぐに消えた。
クラクラはおさまっていてぼくはたちあがった。
標識のミラちゃんはいなくなっていて、
遠くに一本別の標識が立っている。
そこに何かの説明が書いてあるはずだ。


よい天気で、空には時計の太陽が黄色く光っている。
その時刻は3時をわずかにすぎたところだ。
ぼくはバス停にむかってチクタクチクタクと歩いた。
その標識は重大な分岐点に思える。
鉄かぶとを使った大きなやどかりが何匹か歩道にいて
ぼくが近寄っても逃げようとはしない。


標識は下から四角錘コンクリの土台に鉄柱、
長方形の時刻表、一番上の丸い板に「BUS」の文字。
ただしここの丸板に文字はなく真っ黒。
時刻表を見るとすべて午後3時15分となっている。

一台の青いワゴン車が近づいてくるのが見える。
遠くなのだが、その車輪が時計であり2時30分で
あることがわかる。前進に応じて時計は進んでゆく。
ぼくはそいつに向かって歩道を駆け出した。
釣竿を振りかざし、すれちがいざまにひっかける。
ワゴン車は釣られた大魚のようにふりまわされ
空に舞い上がった。車輪は2時53分で止まった。

ぼくはひきづられないようふんばっている。
針は空中ではずれ、
ワゴン車は空中でマンボに変身し
彼方へ吸い込まれるように泳いで行った。

今度は赤いダンプカーがやってきた。
車輪は1時35分だ。
時刻が若いのは、
さっきのよりバス停から遠いつまり
ぼくがバス進路をさかのぼって走ったためだ。

ぼくは駆け出した。でかいぞ!
釣竿を振りかざし、
すれちがいざまにひっかける。
ダンプカーとぼくは二連惑星のように
互いを振り回しながら舞い上がった。
車輪の時刻は路面を離れた時に止まっている。

ダンプはぼくを連れて回転しながらも
進路は変えなかった。バス停を通りすぎ
300メートルほどの位置で針ははずれ、
ぼくは路面に転がり落ちた。速度はゆるくなっており
位置も低かったので無事だった。
ダンプカーはマグロに変身して泳いでゆく。
太陽の時計は3時14分になっている。
ぼくは地上に視線をもどし、すなほこりごしに
目を凝らした。
・・・バスがやってくる・・・!

運転手はアクタセだ。
バスの車輪も太陽と同じ3時14分。
あれを、バス停の手前で止めなければならない。
ぼくは駆け出し計算した。あと1分で300メートル。
10秒で50メートルだからオリンピック走者の
半分の速度でまにあう。
しかしこれは1分が60秒ある場合で、
太陽にも車輪にも秒針が無い!
長針がじりじり動く時計なら良いが、
1分に満ちた瞬間かたりと前進するタイプなら、
1分「以内」という意味でしかないのだ・・・。
バスが・・・バスが停車する・・・。


まにあわなかった。
バスにジグゾーパズルの亀裂が入ってゆく。
亀裂が満ちたバスは
ぱーん!
と陶器が割れる音とともに分解した。
ぼくは釣竿を垂らしてずるずると歩いて近づいた。
ジグゾーパズルのピースの山は
黒い煙を噴いて燃えている。
ぼくは魚箱の水をかけようとしたが
箱が分解して水がじゃばじゃばと足に落ちた。






「ハギマルくん!目を覚ましなさい!」
ぼくはホースとブラシをつかんだまま目を覚ました。
ズボンが片足びしょぬれになってしまった。
ミラちゃんは夢の中とちがってにこにこしていない。
腰に手をあてて
熱血ナースのようにぼくをにらんでいる。
「まだ働くのは無理なのよ」
そのとおりだった。でもぼくはもう休みたくない。
だからこうして洗車に出勤しているんだ。

[その日]ぼくは二日酔いで休み
かわりにアクタセがハンドルを握った。
二日酔いは午前中に治ったので釣りにでかけた。
ぼくが釣りをしているとき親友のアクタセは
死んでしまった。
時限爆弾テロ。午後3時15分。6日前のことだ。


昼休みをつげるサイレンがオンオンと鳴っている。
ミラちゃんはにっこり笑い
「いい天気よ良介。公園でお弁当たべましょう。」
と言いながら
暗い車庫から春の光の中へぼくを押し出した。
ぼくの名前は萩丸英太郎であって
良介は芥瀬の名である。

公園はすぐ近くにあって
昼休みの勤め人がぞろぞろとあつまりつつあった。


・・・・・・爆弾テロ・・・・・・・



海のむこうの戦争がこの国にもやってきたのだ。

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