ノベルる

鮫を撃つ

砂野徹作
一  ナルザ


鮫撃ち仲間の中でもナルザの腕は定評があった。
獲物を待ち続ける執念とボウガンの命中率の両方を備えていたからだ。
身の丈180センチとあまり大きくはないが
磨きぬかれた彫刻のような体は筋肉のひとつひとつが生き物の
ように動き、オレンジ色の肌と燃えるような赤毛、青い目と
細い鉤鼻と大きく弓のような口、さながら[人間の鷹]である。
26才と人生の半ばにさしかかったものの、
ここ5年ほど太陽の様な男である。
今この瞬間も空を睨んで標的を待ち続けている。

鮫は空のライオンだ。
真空より軽い気体を体内の浮き袋に生成して水中から現れる。
彼らの住処「湖」は雲に包まれて移動するものもあれば、
岸壁に垂直の湖面を見せているものもある。
崖の湖はどのような作用で安定しているのかはわからない。
聖なる「地の海」は我々人間を生み、
邪(よこしま)なる「空の海」は鮫を生んだ。

トライアは寒い国だ。春浅くまだ希望は土に眠っているような季節、
荒地に一人ナルザは立つ。
いや、相棒のユニックが傍にいるが。
ユニックは馬に似た生き物で頭に一本のツノがある。
個体差が大きくその頭部は馬に似ていたり虎に似ていたりする。
ナルザのユニックは牛に似ているがその眼は鋭く、やはり鷹のようだ。
ちいさな荷車とつながれ、荷車の後半には生活道具が小さくまとめられ、
前半には弓幅1メートルを越える巨大なボウガンが置かれ
これまた空を向いており、荷車は戦車の趣だ。

空を仰ぎ続けていたナルザが低い口笛のように呟いた。
「お出ましだ」
すばやく荷車に乗るとボウガンの短い横木に両足を踏ん張り、
両脚と両腕と胴と胸と肩と、「ウオッ!」という短い掛け声を使って
弓を引き絞ってガキンとロックした。
矢・・・鮫を墜とす以外には使い道がない、禍々しい先端の・・・を装填し、
大地に踏ん張って構えた。
今や彼とボウガンは一体の機械である。
空に鈍く光る湖から泳ぎ出た鮫は、高度を下げて
卵樹園(らんじゅえん)に向かおうとする。
卵樹は村人の命の糧だ。
鮫は20メートルほどの高さまで下がってから平行に移動する習性がある。
3メートルほどの体をゆらめかせて・・・地上の鮫撃ち機械の存在は
見えてはいるがそれが何か理解していない・・・平行移動に移りつつ、
加速して熟れた果実に突入するため尾びれを振ろうとした。
が、それより早くナルザはひきがねを引いていた。
矢は音も無く的に吸い込まれまばたきも許さないような瞬間に、
鮫は横腹を射抜かれて浮き袋の気体を噴き出した。
キリモミ状態となって落下する。・・・落下する・・・。
ズドオーーム!
地響きが祝砲のように成功を告げる。
遠くで村人が歓声を上げた。






------------------------------------------------------------------

二   ギア


少年は荷車を曳くユニックと歩いている。
彼が荷車に載るのは急ぐ時か疲れた時だけだ。
大理石色の肌に深い緑の眼と髪。14才で、
猫の子供のような印象の顔だが
無口で頑固そうな顔つきは職人の血を思わせる。
荷車には何に使うのか1メートルほどの束ねた金属棒が載っている。
その両端は接合のためらしく複雑な切れ込みがある。
他にもなにやら黒っぽい道具箱、そして巻いた毛布など生活道具。
そのユニックは馬に似た顔だが眼だけは猫に似ている。
少年が語りかけると「ファオー」と応えるのだった。
「あとすこしでミラウ村だ」
「ファオー」
「水にありつける」
「ファオー」
荒野のむこうに村が小さく見えてきた。風車が何基か建っている。
「ファオーオオ」
ユニックがたちどまり後ろを見た。
別の荷車が近づいてくる音に気づいたのだ。
その男は荷車を降りて、少年に呼びかけた。
「おおい!」
オレンジの肌に赤毛・・・イルギス人だな。
男のユニックはずいぶん大きい。二頭のユニックはなにやら挨拶している。
「あの村がミラウかい?」
「そうだよ。村に用なら僕についてくるといい。
  まず役場へ行くんだろう。」
少年が少しも子供らしくないことに男はちょっと驚いたが、
微笑んで応えた。
「そいつは頼もしいな。俺は鮫撃ちのナルザって者だ。
  昨日も隣村で一匹しとめた。
  ミラウにはでかい奴がいると前々から噂で聞いててな。」
「僕は風車屋のギア。僕がいなければこの州の風車は回らない。」






-------------------------------------------------------------

三  輪架の村


トライアは拝輪教によってよく治められており、ミラウ村も例外ではない。
教会は病院・孤児院・宿泊施設・物々交換場などを兼ねた、
人々の要の設備だ。
壁には拝輪歌の詞を10番まで刻んだ石版があり、
子供たちはこれで文字を覚える。
村の辻には輪架(支柱の先端に輪)が立ち、標識を兼ねたものもある。
役場へ導く標識もあるが、ギアがナルザを案内すると言ったのは
普通イルギス人にはドーウ語が読めないからだ。

二人と荷車は、煉瓦作りの家が散在する村を進む。
村人の多くはギアと同じドーウ人で緑の髪と眼だ。

役場では太った村長が長い干し草で敷物を編んでいた。
役人としての仕事は少ないのだ。ギアは何も言わずに懐から、
てのひらサイズの陶板・・・大小の輪をくっつけた形・・・を
差し出した。村長は裏返して輪に沿って刻まれた文字を読み、
ギアの顔と見比べた。
「風車屋のギア・・・マハルグの息子だな」
「今期から僕がやります」
村長は理由を聞こうとしたがギアの目を見て口をつぐんだ。
そして別の陶板を引き出しから取り出した。
こちらは公の仕事をするため教会に泊まるための権利証である。
ギアのとあわせて二つを渡す。
次にナルザが、くびかざりのように紐を通したいくつもの陶板を
ジャラジャラと出した。鮫を退治したことを各地の教会が証したものだ。
村長は驚いて、ハッと気づくと立ち上がった。
「おお!あんたがナルザか!我々を救ってくれ。鮫の説明をしよう。
  ちょっと待っててくれ今地図を・・・」
ギアはその声を背中で聞きながら役場を出た。
水を飲み終えた二頭のユニックが顔を向ける。






--------------------------------------------------------------
四  カノン


教会はドーム型の本堂と円柱の別棟いくつかで構成されている。
外壁は煉瓦で、内部の仕切り壁は保温性の高い発泡煉瓦、
床や梁は木材である。
カノンは客室の掃除を終えて干し栗を食べながらひとやすみしていた。
長い黒髪は後ろにまとめて細い布で結んである。
布は古いカーテンを雑巾にする前に裂いたものだ。
教会内の仕事で最も労力を要するのは掃除で、女は水運びなど力仕事を
しないから彼女はほとんど掃除ばかりしている感がある。
クリーム色の肌に切れ長の大きな目、黒い瞳孔。
祖先はニイフという国から流れてきたらしい。
教会の住人は30人ほどで、成人すなわち16才になると外部の仕事を
周旋されて他所で働くことになっている。
女は成人即結婚する習わしであり彼女は15才だった。

「カノン!風車屋さんの到着よ」
窓から呼ぶシース(教会主)は水色の肌に紺色の眼と髪の女性だ。
40才ぐらいで、黒い長いドレスに身を包んでいる。
カノンは干し栗の袋をスカートのポケットに仕舞って立ち上がった。

「どこ?お客様は」
カノンは自分より背が低い少年が風車職人とは思えなかったので
ギアに尋ねた。
ギアは何も言わずに、鞄から金属板をとり出して見せた。
ネジ留め可動部を含む、いくつかの幾何学的な穴と目盛りがある。
歯車の設計具だ。カノンは驚き、なんと言おうか迷っているうちに
ギアは金属板をしまい、教会の作りを知っているかのように
迷わず部屋に向かった。そして
「地図を持ってきてください」
と言ってベッドに腰をおろし、
「風車と水車だけではなく時計やオルゴールも直すから、
  今日中に順路を決めて明日の朝から村をまわります」
と棒読みのように喋りながら鞄から筆記具を取り出す。
カノンは(なんて奇妙な少年なのだろう)と心の中で呟きながら
シースのいる本堂へ向かった。少年の指の動きを思い返しながら。
いつか見た旅芸人の、手風琴を奏でる指に似ていた。

「シース!地図を、ええと風車屋さんが・・・」
「地図なら村長から貰ってきたぜ」
意外な方向からの知らない声にカノンが振り向くと、
ナルザと荷車が近づいてきた。彼がしばしば遠くから大声で喋るのは、
聴力が優れているためでもある。相手は大声を出さなくても良いのだ。
「あなたは誰?」
「鮫撃ちだ。荷物を見りゃわかるだろう」
「それじゃ、あの銀色の奴を退治してくれるのね?ようこそミラウへ!」
カノンは深くお辞儀した。






--------------------------------------------------------------------

五  塩屋のテイス


カノンはハッと何かに気づいて本堂へ走ってゆく。
ナルザは
「おーい、地図はギアの分も貰ってきたんだぞ」
と言ったが無駄だった。しかたなくユニックの小屋にゆくと
ギアのユニックが荷車の取っ手ではなく荷物に紐を繋がれて
雑草を食べていた。ナルザも同様に取っ手からロープを解く。
荷車の財産をユニックに守らせるのだ。

カノンは、ようこそミラウへと言ってお辞儀をするしきたりを
少年に対して忘れていた。大きな布の地図を握って廊下を急ぐのを
仲間たちが不思議そうに見る。
部屋に入るとギアは紙に数字をたくさん書いていた。
「ようこそミラウへ!地図です」
カノンはお辞儀をすると相手が何も言わないうちに足早に立ち去った。
ギアは溜め息をついた。
風車屋が年少なので村人の反応がおかしくなるのに
まだ慣れることができない。迷わずに客室へ向かったのは
あてずっぽうで、間違っていればそう言われるだけでたいしたことはない。
ようするに喋るのが面倒なのである。
そこへ見知らぬドーウ人の中年男がやってきた。
服の腹に大きく立方体が刺繍してあるので塩屋とわかる。
「わしはテイスだ。一晩ここに世話になる」
ギアは
「僕は風車屋のギア」
と答えた。服に歯車を描いとけば仕事を説明しなくていいなと思いながら。
客室は3人用で、暖房効率のため他の部屋が空いていても一緒に泊まる。
商人であっても村に招かれた場合は教会に泊まれる。
テイスは常連だから案内がいらないのだ。
「そして俺が鮫撃ちのナルザだ」
いつのまにかナルザが来ていた。
「おお!あんたが噂の名人か。銀色の奴はずいぶんでかいそうですな。
  墜としてくださいよ塩がたくさん売れる」
とテイスが笑った。3メートルの鮫から100キロの肉がとれる。
1キロ100エルンだから10000エルンになり、贅沢しなければ半年暮らせる。
保存加工は設備が要るから鮫撃ちにはできないし、[仕事を独占しては
ならない]と聖書に書いてある。
「みなさん、私はカノンです」
カノン(ナルザを案内してきた)が唐突に言ったので男たちはちょっと驚いて
顔を見合わせた。
彼女は誰に対しても名乗るのを忘れていたのだ。






--------------------------------------------------------------------

六  銀色の奴


翌朝、ナルザはボウガンを部屋の柱に鎖と錠前で繋ぐと、
薄いリュックを背負ってユニックにまたがり[黒い鏡]に向かった。
それは垂直の湖面を光らせる断崖で、村を見下ろすかのように聳えている。
明るいが冷たい空の下、たくましいユニックは軽快に進む。
鮫が現れるのはなぜか週に一度であり鮫ごとに曜日が決まっていた。
一週間は石・銅・砂・鉄・鉛・星の六日であり銀色の奴は鉄曜日に現れる。
今日は砂曜日で明日が勝負だ。鮫は地表近くでは用心深くまた敏捷で、
卵樹園などで待ち伏せしてもあまり成功しない。下降する前に撃つのが
得策であった。また、矢の軌道が低い角度だと、外れた場合無人地帯を
越えてしまう恐れがあるので、低く撃つ場合には鮫をどの方向から撃つか
選ばねばならない。このため地理条件の下見が必要なのだ。
矢は風に流されるので風が強い日には風上からしか撃てない。
もっとも、鮫自身も風に流されるため強風日には水中から離れない。
海の鮫と同じ姿であり、鳥のように自在には飛べないからだ。
また、空気中では[息が長く続かない]らしく、
距離2キロほどを往復するのが限界であった。
ところが銀色の奴は5メートルもあり普通の鮫の4倍ほどの体積があるため
息が長く、村を徘徊し卵樹を食うだけではなく大きな口でユニックを食う
ことがあり被害は深刻なものとなっていた。体色は普通の灰色ではなく
銀だという。これはナルザも見たことがなかった。

地図をにらみつつ村を縦横にめぐり地の利を悟ったナルザは
或る大きな農家に赴き、レモンほどの樹卵を三個と麦粉を一舛と油一瓶を
買った。樹卵は果実だが味と栄養は卵であり、
人間が食べなければ離樹後20日で雛鳥が生まれる。

正午をかなり過ぎていた。
ナルザは村の中央広場の隅に陣取りリュックから金属器を取り出して
組み立て、両手でライターをガリガリと回して途中拾った柴に火をつけた。
鍋に麦粉と水筒の水を入れて卵も混ぜて練ってゆく。
教会で宿泊者に供されるのは夕食だけなのだ。






--------------------------------------------------------------------

七  オルゴール


一方、ギアは日暮れまで働いた。前日伝令を材木屋に走らせ
・・・伝令は配達屋が兼ねており、これは役所が定額報酬を与え村を
ユニックで巡回させている・・・材木を要所に運ばせておいた。
10キロ四方ほどの村に20基の風車と31基の水車がある。これを点検し、
老朽部品を差し替えるのだ。負担がかかる小さな部品を取り替えれば
百年でも使える仕掛けになっている。14ヶ月に一度行なう。
1ヶ月は4週間つまり24日である。一年は16ヶ月で、この州には同規模の
村が27ある。現在この仕事をギアがひとりで請け負っているので、
一つの村に何日もとどまってはいられない。風車屋が何人もいる場合は
家具やオルゴールも作る余裕があるのだが、今のところギアは
修理専門だ。ただし時計やオルゴールも修理は行なう。
客が喜ぶのを目の前で見ることが出来るので、彼の大きな生きがいと
なっていた。本当はオルゴールばかり作っていたい。

内部メカは単純な工具を巧妙に使い小さな力で
分解できるようになっている。
歯車のひとつひとつが精巧なブロックの集合であり、
修理は傷んだブロックを差し替える。たいていひとつだけだ。
ギアは金属棒を接合し金属のギアボックスに差し込んでネジで締めた。
1メートルほどの支柱に3メートルほどの水平棒、
その先端をユニックに繋いで合図で円軌道を走らせると、
不思議なことに丸いのこぎりが素晴らしい速さで回転するのだった。
もちろん、或る程度の部品はあらかじめ作っておくこともあるのだが、
修理を要するかは現物を見ないとわからないことと
移動の重さを考えると現地製作中心が賢い。

ユニックは草食で、植物性のものはなんでも食べる。
作業中に木屑を次々に食べてゆく。そのうえ雑草も食べ続ける。
「最近よく食べるな?まだ大きくなるのかな」
ギアは休憩して相棒を眺めた。
彼の昼食は白い芋とチーズと水筒のお茶。芋は薄く切って焼く。
遠くに崖が、[黒い鏡]が見える。湖面は判別できない。
そのかなり手前に非常に細長い建築、櫓(やぐら)がある。
そのてっぺんには警鐘が吊ってある。鮫の出現を知らせるのだろう。
しかしそこに上った者は鮫に襲われないか?・・・ああそうか、
だから崖から遠いんだな。見つけたら急いで降りて、鐘はたぶん下から
ロープを引いて鳴らす。すぐ鳴らせるよう上下に一人ずついて、
上から合図するんだな。合図はやはりロープだろう。
たぶん櫓の根元には身を隠す大きな壷がある。






--------------------------------------------------------------------

八  明日は鉄曜日


明るいうちに教会に戻ったナルザは粗い布に油を染み込ませ
入念に弓をぬぐった。弾力を保つための手入れである。
次に筋力運動を半時間ほど行なった。
それが終わるころカノンがやってきた。
「用はありませんか」
「ああ・・・カードで遊ばないか。
  君が勝ったら肩車して客舎をひとまわりしてやるよ」
「暗くなっちゃうわよ」
「明日さ」
二人はゲームを始めた。
「塩屋さんは?」
「仕事が終わったからここには泊まれない。
  お得意さんのところに厄介になるそうだ。
  鮫退治を見物するためにね」
「ギアはいつまでいるのかしら」
「3日か4日と言ってたな」
ゲームは接戦で、陽が落ちるころカノンが勝った。
そしてギアが帰ってきた。
ギ「夕食はまだ?」
カ「もうすぐよ。私は当番じゃないから暇なの」
ナ「あー俺もはらぺこだ。食堂へ行こうぜ」

その時ユニックは干し草をもくもくと食べていた。
先に食べ終わったナルザのユニックは隣を不思議そうに見ている。

食堂には30人ほどがいて、やがて食前の短い祈りが始まって、
そのあと料理が運ばれた。
干し魚とバターを使ったシチューと胡桃を混ぜて焼いたパン、
瓜のような果物を糖根と煮て冷ましたジャムのようなもの。
おわりに木の実を煎じた茶が出る。平日の食事はこういう具合で、
贅沢は星曜日の夕飯と決まっている。

食事を終えると別棟の「水場」へ行く。
二つの巨大な、低く広い甕(かめ)に熱湯と水が入れてあって
柄杓と桶が多くある。熱湯は壁から延びている樋から注いだものだ。
大勢で湯を使うにつれて部屋は湯気に満ち暖まる。
男女はついたてで仕切られているが甕は共有で、柄杓を持った腕を
伸ばす。体を洗う布は持参だが石鹸は用意されている。
ギ「泡立ちが悪いなあ」
ナ「野生の石鹸樹から作ったんだろ。」
すると誰か女の声が
「あんたたちが汚れてるんじゃないの」
と答えたのでみんな笑った。






-------------------------------------------------------------

九  対決(前編)


銀色の奴は5メートルもあるという。
これは的として大きいという意味でもある。
村を徘徊すると言ってもまず卵樹園に向かうので、
そこまでのコースは決まっている。
狙いどころはやはり20メートルに下降したときであり、
人家のない方角、崖方面に向かって撃てばよい。
ナルザは或る小さな林に落ち着いていた。
いつもとちがって空を睨んで長い長い時を待ち続ける必要はない。
時刻はだいたい決まっているし、ずっと後方の櫓で村人が見張っており、
奴が現れたら警鐘を響かせるのである。
問題の、矢は通るのか?は、やってみなければわからないのだった。

[鮫の鉄曜日]ではあったが、ギアは風車修理に出かけていた。
警鐘が鳴ったら近くの人家に駆け込むか、ユニックとともに煉瓦壁か
大木にくっついていればよい。鮫の口の形状から、そうしていれば
食われないのだ。しかしギアは困惑していた。
彼のユニックは丸ノコ機械の水平棒とつなぐベルトに沿わない姿に
なっていた。胴全体、特に背中が丸く大きく盛り上がっていたのだ。
それだけではなく体毛が羽毛みたいになっていた。
緑色の眼はいつのまにか金色に輝いていた。
朝でかけるときはこうではなかった。歩いているうちに変化したのだろう。
「おまえユニックじゃなかったのか?何になろうとしているんだ」
その時、遠く鐘の音が聞こえた。
クアーン!クアーン!クアーンアンン・・・!

ナルザはそれより早く銀色の奴を見据えていた。
湖面からゆっくりと離水する。水しぶきは垂直湖面に戻ってゆく。
他の鮫と違って腹部に、背びれと上下に対を成す腹びれがある。
つまり尾びれの他に水平垂直に対を成す四枚のひれがあり、
腹びれの先端には硬質の鉤が前向きに尖り、黒っぽく光っていた。
背びれの根元には鎧のような分割覆い・・・エビの背のような・・・がある。
そして胸びれの後ろにエラと同じ切れ込みがあり、
そこから青い炎を吹き出した。

「こんな・・・こんな奴は初めてだ」
ナルザはあきれたかのように空を見つつボウガンをロックして
荷車を降りた。






--------------------------------------------------------------------

十  対決(後編)


彼は背中に四本の矢を備えている。機構上ボウガンの矢は弓を引ききったとき
弓に届かなくても良いので短めだ。
ナルザは大きな的が20メートルまで下降し横腹を見せると、撃った。
矢を受けた鮫は半回転した。明るい空を背景に暗い銀が光る。
ダメージの様子は無い。腹に矢は刺さっているが、[通らなかった]のだ。
そいつは真っ直ぐにナルザに向かってきた。
ナルザはすばやく全身でふたたび弓を引いた。
「うお!」
という声とともに。
ユニックにまたがり100メートルほど離れた林に向かって走らせる。
鮫が追ってくる。空中での方向転換に手間取ったのでかなり距離がある。
ナルザはユニックの肩に両足を載せて蹴り、少し浮いてから落下し
着地した。そして90度左を向いて矢を構えた。
ユニックは左折して走ってゆく。
これで鮫の横腹を撃てるはずだったが鮫はユニックを追わず、
惰性に流されながら縦に回転した。
幅1メートルはあろう尾びれがすくいあげるようにナルザの左半身を打った。
「うおー!」
彼は右手に握った[弓幹]だけでボウガンをひきとめながら激しく
地面にたたきつけられ、転がった。鮫の腹から抜けた矢が落下して、
少し離れた地面に刺さった。ナルザは頭と目をめぐらせて
敵の位置を求める。奴は低空で向かってくる。
腹びれを横にたたんでいるから、目的は地表にある。
俺を食う気だな!
矢を放って当てても食われてしまうだろうが、
弓を垂直に立てて構えればいかに大きな口でも食えない。
しかしナルザは体をうまく動かせなかった。
銀色の悪魔は口を最大に開いて動けない獲物にゆっくり迫る。
剣を並べたような二重の歯列。
しかしそれは
ドズム!
という鈍い音とともに軌道を変えナルザをそれた。
彼の頼もしい相棒が突撃して鮫の側面を突いたのだ。
銀色の飛行船は突風に遭って離れてゆく。

          -----------------

その頃ギアのユニックは、背中の翼を広げた。
どのようにたたんでいたものか、翼幅は体長の倍近くある。
大きく羽ばたき舞い上がった天馬は、いずこかへ飛び去る。
ギアは呆然と見送った。

          -----------------

ナルザのユニックは彼の腰ベルトを咥えると持ち上げ林に向かって
走り出した。鮫はまたしても追ってくる。彼は林に投げ込まれ相棒は
風のように去る。鮫は林に突っ込んだ。
バキバキバキミシ!ぎぎぎぎ・・・。
立ち木に挟まって宙吊りとなった。
ナルザはそのほんの先、2メートルほどのところにうずくまっていた。
左腕は真っ赤に染まっている。右手はボウガンを握っている。
鮫は樹木から抜けようと身をくねらせる。
その瞳の奥には暗い紫の炎が渦巻いている。
流線型の鮫を正面から撃っても矢は浅い角度ではじかれてしまうだろう。
頭部が静止しなければ真正面の中心に当てることはできない。
奴が宙吊りになっているうちに、
撃てる位置まで這って行ければナルザの勝ちだ。
しかし彼が右肘で身を起こした時、
鮫を支えていた枝が折れて荷物は落下した。
ベキーッ!ズザザザザッズ。
鮫は胴を大きく反らせると尾で地面を打ち、
反動で跳ねて少し後退すると、
左右に身をよじらせてさらに後進し、林から脱出した。
そして後半身から青い炎を噴き出すと上昇し、崖の方向に泳いで行った。






-------------------------------------------------------------

十一  知恵で力の輪を回す(前編)


「・・・面目ない」
ナルザは荷車に揺られながら嘆いた。
「なに、大したもんだよ。今週の鮫の被害は無しで済んだじゃないか。」
テイスはそばを歩きながら慰めた。他にも10人ほど男たちが周りを
歩いている。彼らは塹壕の中から見物していたのだ。荷車はユニックが
ひいている。ナルザの左腕は血が固まって黒い棒のようだ。
誰からともなく[猟師の歌]を歌いだした。
♪君の胸の残り火 消えぬうちに旅立て 明日のすみか 時の彼方
  名前の無い森 青白く濡れたナイフ 稲妻のやじり 魂の瞳で狙え
  こがね色の鳥・・・♪

教会に戻ると紺色の目と髪のシースが出迎えて
「病人と怪我人は面倒を見ます」
と言ったが男たちはすかさず、一斉に
「鮫は来週倒す!それまで仕事で滞在するんだよ」
と応えた。まるで合唱みたいに。ナルザはカノンがいるのに気づいて、
「肩車はしばらくおあずけだ」
と笑った。カノンも笑顔を見せた。

その頃村長は不機嫌な顔で、たくさんの陶板を並べて磨いていた。
「ナルザが墜とせない鮫は誰も手を出さないだろう。
  なんとか彼に仕留めてもらわないと・・・」
と呟きながら。事件はもう村中に知れ渡っていた。
そこへギアが訪れた。自分の荷車を引いて。
「おや?どうしたギア。まだ明るいぞ。それにユニックは?」
「羽ばたいて飛んで行ったよ。」
「羽ばたいて?」
「別のを手に入れないと仕事ができない。
  この村で買うか借りるかしたいんだけど」
「ああ・・・それは紹介してあげる。しかし羽ばたいて?」
「背中がふくらんで翼がひらいて・・・」
「それは・・・それはウィーニックだ。眼は金色に?」
村長は陶板を磨く手を止めた。

「眼は金色、ひづめは黒、選ばれたるユニック天を駈ける
  ・・・この図鑑は正しいな。」
  青白く細長い学者は本を開く前に暗唱しつつギアに図鑑を渡した。
絵図はたしかにギアのユニックと同じだ。
「2万頭に1頭ほど現れる[超ユニック]であり飼い主の元には戻らない
  ・・・か」
図書館は役所の近くにあり学者はそこに住み込んでいる。
「珍しいことが隣り合わせるのは偶然とは考えにくい。
  ウィーニックは銀色の鮫に呼応して現れたのかもしれん。
  私も見たかったなあ。話を聞かせてくれ」
「悪いけどそれはあとだよ。早く代わりのユニックを決めたい」
ギアはウィーニックが戻ってこないことを確かめたかったのだ。

「シース!知恵のある奴を急いで集めてくれないか。腕は裂傷と打撲で
  骨は無事らしいが、俺はたぶん今夜から丸一日ぐらい熱が出て
  頭が働かなくなる。それまでに作戦を決めたいんだ」
ナルザの注文で、教会で鮫会議が開かれた。100人ほどの村人が集まった。
学者も呼ばれて壇上に加わった。ナルザは病人用の白っぽい服に着替えて、
脹れあがった左腕を湿布で巻いている。他にシース、村長、物知りの老人
などが並んでいる。
ナルザ「俺はとうぶん弓を引くことができない。」
村人「俺たちが力をあわせて引いてやるよ」
ナ「それはありがたいが、弓は撃つ直前に引かないと折れてしまうんだ」
村人「同行するさ。弓を引いたら塹壕に隠れる」
ナ「うん・・・。だが問題が他にもある。
   撃ち損じた鮫は同じ軌道を通らないことと、
   近づいて撃たないと矢が通らないこと、
   そして奴にはおとりがきかないことだ」

その頃ギアは牧場で白地に茶のまだらのユニックの頭をなでていた。
顔はラクダに似ている。






----------------------------------------------------------

十ニ  知恵で力の輪を回す(後編)


撃ち損じた鮫が軌道を変える習性は学者も証言した。
従来の距離では矢が通らないことと合わせて、
銀色の奴を仕留めるためには3人以上の鮫撃ちがチームを組まねば
ならないが、次の鉄曜日には間に合わないだろうし、
その方法では成功率は低い。
そこで、鮫が湖から離水した直後を撃つ案が出た。
これなら近いし、上へ向かってではなく水平に撃つから矢も通る。
崖の上から狙えればよいのだが、そこはとても人間は上れない。
そこで、崖のほぼ真下に、台を建てる。ナルザが大テーブルに
地図を広げて地面の高度を読む。20メートル必要だ。学者と大工と
鍛冶屋がその場で相談し、学者はいくつかの数式を並べて職人たちと
やりとりし、設計は決まった。
土砂と石垣で高さ3メートルの台座を作る。
煉瓦を積み上げて固定し4メートル増し、その上に金属の台座を固定する。
これが3メートル。あと10メートルだ。その上に櫓を立てる。
下方は太い木材で、上にゆくにしたがって細くし、
最上部3メートルは竹である。その櫓ができれば今後あらたな鮫が現れても
楽に退治できるので、費用は村の負担。労力は、村人が力を合わせる。
ここまでは順調に進んだ。

しかしひとつ問題が残った。
櫓の頂上には一人分の広さしかない。弓を引くことができないのだ。
みんな黙ってしまった。
夕刻となり、ランプを灯そうか迷う時刻だ。
そのときカノンが入り口をゆびさしてその場ではじめて口を開いた。
「ギア!」
みんなそっちを見た。夕日を背に小柄な影法師がやってきたのだ。
壇上の石版に白墨で描かれた図を見ている。
村人が口々に、
「ナルザの弓を一人で引く仕掛けはつくれるかい?」
と尋ねると、あたりまえのように
「作れるよ」
と答えて、こう続けた。
「ナルザ!失敗したら僕は報酬はいらない。
  成功したら鮫代の1割をくれ。どうだ?」
あいかわらずまったく少年らしくない態度にナルザはニヤリと笑い、
「お前も立派な鮫撃ちだぜ」
と応じた。






--------------------------------------------------------------

十三  週末祭


翌日、[黒い鏡]をほぼ真下から見上げる場所で土木工事が始まった。
千人ほどの男たちと百頭ほどのユニックが
土や石や木材を運んで集め、運び上げ、くみあわせ、固定してゆく。
煉瓦屋と材木屋は大儲けだが、一割を村に寄付した。これは千人分の
昼食代となった。ねじり揚げパンとゆでたまご、乾燥レモンと蜜を使った
飲み物。女たちが器を運び、パンは荒っぽく投げて配られる。
誰からともなく「蟻の歌」の合唱が始まった。
♪地を拓きたいらぐ 偉大なる蟻たち 絆たる糧を運べ豊かに
  築けゆるぎなき架け橋 届けわれらの願い・・・♪
明日が週末の星曜日なのだが、この日も小さな祭りのようだった。

ナルザは熱を出して寝ていた。が、眠っているわけではなく
地図を見ている。村の地図ではなく州全体の図だ。
そこへ塩屋のテイスが別れの挨拶をしに来た。
「残念だが次の鉄曜日まで滞在する余裕は無いんだ。」
「あー・・・頼みがある」
「ん?何だい」

村長は助手に役場を任せて現場を見に来た。学者が図面や手帳を見せて
なにやら説明する。

大工と鍛冶屋はそれぞれの仕事場で、
ギアが描いた設計図を睨んで工作を続けている。

ギアは、白と茶のまだらのラクダのようなユニックをつれて、
本来の仕事をしていた。時々は崖の方を見やりながら。
彼が村からの報酬よりナルザの成功報酬の一割を望んだのはその方が
はるかに高く、新しいユニック用の支出を補完できるからだが、
村の負担をギアの本来の報酬分減らす意味もある。その額は小さいものの、
これはナルザが自分の取り分からギアの報酬分を村に寄付
・・・鮫退治の成否にかかわらず先払いで・・・することになるし、
もし失敗したらギアの取り分はなくなることで
次の鉄曜日前に村を去りやすくなる。
このような[輪の作り方]は[一割の絆]と呼ばれている。

その日のうちに土砂と石垣の台座と煉瓦の構築は完了した。
金属の台座の部品は5台の大荷車が分載して運んできた。
両端に突起や切れ込みや穴のある長大で無骨な金属棒である。
日が暮れてきたので組み立ては週明けとなった。
明日は安息の星曜日であり、
あと櫓を組み上げるのは一日あればできるからだ。






-------------------------------------------------------

十四  星の祈り


星曜日の夕食は贅沢なものだ。
あぶった鶏肉、きのこと白瓜のスープ、チーズを混ぜた玉子焼き、
三種類の根菜と川海老のフライ、塩味の茹で黒芋、ヨーグルトソースの
ハムサラダ、炒った豆と麦粉とミルクを混ぜて焼いたパン、
桃のシロップ漬け、茶色い豆を使った上等のお茶もある。
食堂の天窓から見える夜空には輪のある星が輝いている。
これが拝輪教の神星であり、星曜日の夜にはやや長い祈りがあり、
そのあと夕食となる。

その日の昼には炭焼きの若者と竹屋の娘の結婚式が行なわれ、
村人の大半が集まりたいへんな賑わいだった。
竹屋は竹で家具や笛を作る仕事で、二人は物々交換場で
親しくなったという。
歌、踊り、音楽、招かれた曲芸師や手品師の演芸、拍手と笑いと歓声で
一足早く満開の春が訪れたようだ。熱が下がったナルザは残念そうだ。
「怪我してなけりゃ俺も技を見せるんだが」

夕食の時も、鮫退治については誰も話題にしなかった。
安息日は仕事のことを口にしないのだ。だからカノンには成功の
見込みがどれぐらいかさっぱりわからなかった。昼間の結婚式を
ぼんやり思い返していた。ナルザは食欲が回復しないと言って、
ヨーグルトをカップに一杯飲み込むと
部屋に引き上げた。新郎新婦とその家族が教会の夕食に加わり、
ギアは別のテーブルにいたので姿を見ることがなかった。

明日は櫓が完成するだろう。






----------------------------------------------------------

十五  明日は再び鉄曜日


翌日の昼遅くに櫓は完成した。
ナルザがユニックの背に揺られやってくると男たちは静かになった。
彼はユニックから降りると石垣、煉瓦、金属の台座の階段を上ってゆく。
包帯が巻かれた左腕をぐるぐる回してから低い位置で止め、
指を開いたり閉じたりした。それから梯子(はしご)の横棒を握って、
上るかと見えたが顔をしかめて戻ってしまった。

ギアは朝から晩まで働き、帰ってからも眠るまで木屑だらけになって
歯車部品を作っていた。二日遅れた分を少しでも挽回しなければ
ならない。風車補修は長い旅なので一つ一つの村で少しずつ遅れたら
終りのほうで大きな遅れになってしまう。
猫のような顔は細く痩せて、まるで二年も成長したかのようだ。


こうして砂曜日となった。

教会の敷地を離れるところでギアはユニックにまたがった。
カノンが
「次は14ヶ月後ね」
と言うと
「いや、ナルザが成功したら僕の取り分を受け取りに来るよ
  経路を変えてね。テイスが商人の連絡網を使って
  旅先に知らせてくれることになっている。さようなら。」
と答えてギアは背を向け荷車を進めた。それからもう一度振り向いて
手を振った。
カノンは再会がいつになるか考えようとして、
とにかくむやみに長くはないと気づいたのはややあとだったので、
その笑顔をギアが見ることはできなかった。






------------------------------------------------------------

十六  旋廻装置



夜が明けるとナルザはユニックにまたがり出発した。荷物は何も無い。
炎のような長髪をなびかせて鷹のような男が「黒い鏡」を目指す。

崖に立ち向かうかのような櫓の姿が低い朝日を受けて
長い影を地面に投げている。ナルザはユニックを降りると階段を上る。
近くに小さな土の山がある。見物用の塹壕が掘られているのだ。
しかしまだ誰も来ていない。
ナルザは梯子を上る。左腕の力は戻っていないが握力は回復した。
左手は横木をつかめさえすれば右腕の力で上ってゆける。

櫓を上りつめると1メートル50センチ四方ほどの頂台で、そこに厚い布の
低くいびつなテントのようなものがある。布を除くとあのボウガンが、
切り株のような旋廻装置の上で彼を待っていた。
頂台は高い柵に囲まれている。
ナルザは、切り株に繋がれたロープを腰のベルトに結び、命綱とした。
次にボウガンをまわしてみた。前日の練習と同じように音もなく回る。
機械油の匂いが強くなる。次に上下角の動きを試す。適度に締めた
ネジにより、右腕だけで角度を変え、また固定することができるのだ。
この変角器ごと台の上で旋回する。ボウガンは外付け変角器の、
鷲の足に似た部分につかまれ固定されている。着脱用のL字棒が
突き出している。それを受ける金属の切り株は太い木材を組み込んで
床に固定してある。床の鉄の大枠に十文字の木材を突っ張った形だ。
切り株の小さな突起が数本の矢を立てている。その傍には短いレバーが
にょきりと生えている。また、床の一端には滑車が外に向かって
突き出している。ロープが滑車を一回巻いており、その端は一個の
大きな石に結ばれている。30キロぐらいありそうだ。真ん中当たりが
へこんで縛るのに良い形だ。滑車を巻いて床に戻ったロープの
もう一つの端はボウガンの横木に結ばれていて、結び目にはナイフほどの
金属棒が閂(かんぬき)のように差し込まれている。
これを抜くとほどけるのだろう。
滑車・横木間のロープはかなり長く、ぐにゃぐにゃと旋廻機の根元に
集められている。他に上着ほどの薄い砂袋が二つと、毛布と、
あの薄いリュックもある。
旋廻台は崖の湖方向に寄った位置にあり、
ナルザが落ち着くのにちょうどよい広さが後ろ半分にある。
毛布にくるまり砂袋を敷いて腰を下ろしたほんの目と鼻の先に
垂直の湖面が在る。
鮫はいつも湖面下端から現れる。
彼は右目を閉じ左目だけで半透明の藍色の水を
見据える。矢を射るときに右目を使うのだ。
これが長時間獲物を待つときの方法である。
獲物はいつ現れるかわからない。
弱いが冷たい風が流れている。

教会の鐘の音が聴こえてくる。
グリリーーンン・・・ゴウウーーン・・・・
朝の7時を告げているのだ。一日は24時間である。
陽はしだいに高くへ移動する。見物の村人が集まってきた。
時間はすぎてゆく。

鐘の音が10時を告げても、ナルザは左目だけで湖面を見据えていた。
何を考えているのかその姿からはわからない。

藍色の光が揺らめく中で、銀色の巨体が鏡を破ろうと進んでいた。
その瞳の奥では、暗い炎が渦を巻いている。






-------------------------------------------------------------

十七  鮫を撃つ


地上にたむろしていた見物人は、
待ち飽きて居眠りしたりカードで勝負したりしていたが、
ナルザのユニックが突然大きく長く吠えたのでびっくりした。
寝ていた男は跳ね起きて、よくわからないまま立ち上がろうとしてくじけて
塹壕に転がり落ちた。ユニックは湖面を睨んで吠える。
フォーーーウアアアーーーーッ!
塹壕に落ちた男は地上に頭を出したが、仲間たちが次々に転がり込んで
また中でもつれた。
崖の背後の空の、遠く高い雲の中から白い獣が羽ばたいて現れた。

湖面が揺れるのを見たナルザは床のレバーを足で倒す。
四方の柵は花びらのように外に開いて射界を確保した。
柵たちが垂直に垂れた時には蹴られた石が落下していた。
落下石の質量と加速度はロープを頼もしい勢いで引き、弓は深く引かれ
低い音と共にロックされた。矢を装填し結び目から閂を抜くと
ロープは床を逃げ地表へ吸い込まれてゆく。この間数秒。
湖面に飛沫が膨らんだ。11時を告げる鐘の音が響く。

グリリーーンン・・・ゴウウーーン・・・・ギーンン・・・・ギーンン・・・

鮫は飛沫の中だ。高空の白い獣は下向きに羽ばたいて
ぐんぐん降下するがナルザは鮫しか見ていない。
右腕でボウガンを抱え一体となる。矢が通るならどこを狙ってもよい。
向かって来たなら口の中へ撃つ。旋廻機の幹の後ろにいるから
食われない。しかし鮫は飛沫が静まる前に青い炎を吹いて、一瞬早く
垂直降下した。
ナルザは最大に弓を低く傾けて追尾しようとした。
しかし、鮫が単に逃げたのではないことを櫓の揺れが知らせた。
グシャアア!
竹部分に食いついたのだ。そもそも、櫓に食いつくのでもない限り
射撃の死角にはならない。銀色の奴は賢いぞ!
見物人は叫んだ。
「いかん!ナルザ降りて来い!やられちまうぞ!」
頂台を支える四本の竹のうち一本がすでに噛み破られて力を失った。
太さ15センチはあるが鮫にかかれば小枝も同じだ。
「櫓の内側をつたって降りるんだ!」
鮫は二本目の竹に食いついた。ナルザはぐらぐらと揺られながら、
変角器のL字棒を忙しくまわしてボウガンを解放した。
そして腰の命綱をほどいた。
二本目の竹が砕かれて床は大きく傾いた。
ベキベキギギギギギシィィィ。
ボウガンを両手で抱えたナルザは危うくバランスを取りながら
下界に鮫の尾を見た。奴はつぎに、少し櫓から離れて、三本目に
食いつく。その動きを先読みし確定すると、
床を蹴ってふわりと宙に舞った。
空中ならボウガンの重さは問題にならず、操るのに左腕の力はいらない。
獲物は5メートルと離れていない。
鮫撃ち機械は空中で逆さまとなり銀色の巨体に向かって
ひきがねを引いた。
「あばよ鮫野郎!楽しませてもらったぜ」
浮き袋を破られた鮫は藍色の気体を噴き出した。
グバーム!
きりもみ状態で斜め下に遠ざかり見る見る小さくなる。
あおられて逆方向に飛ばされたナルザは吠えた。
「見たか!俺はトライア一の鮫撃ちだ!」
銀色の大鮫は隕石のように大地に激突し、
藍色の火球を中心に破裂し四散した。
その爆発音は祝砲のように教会まで響いた。
ナルザはというと、ウィーニックの背中に受け止められて驚いた。
そして、自分の落下を忘れていたことに気づいた。
「しまった!いや助かった・・・!」
ウィーニックは長大な円弧軌道を降下し、
低く滑空しながら荒っぽくナルザを地面に転がすと、
着地することなく空へ帰ってゆく。見物人の中にいた学者は駆け出し、
むなしく呼びかけるのだった。
「おおい!もっと姿を見せてくれえ・・・」
地面のナルザと、彼を囲む村人は笑って、空に向かって手を振った。
「はははは!ウィーニック!ありがとう!」






--------------------------------------------------------------

エピローグ


春も終わろうかという麗かな或る日、ギアは賑やかな街を歩いていた。
布の拡大図を看板に掲げた店に入ってゆく。
「絹はありますか」
「あるけど高いわよ」
「少しでいいんです。髪を結ぶリボンにするだけだから」
「それなら簡単だからすぐ仕立ててあげるわ。選んでちょうだい」
布屋の女は見本帳を持ち出して開いた。
ギアは見本を眺めたがちょっと困って、問い返した。
「何色がいいかなあ?髪は黒なんだ」

このページの一番上へ

感想を書く

ホーム戻る