2999年、地球上の都市の全てが天空都市になっていた。それは、2000年代前半に始まった高層建築物の都市化に端を発する。都市の高層化はどんどんエスカレートし、巨大化していった。高層建築の上にそびえる天空都市の人口もそれに伴い増加し地球上の人口の大半を占めるようになっていた。2800年頃、地上では未知の極小粒子による疾病が蔓延した。その症状は呼吸器症状に始まり、回復した後も造血機能の低下や脳神経機能障害を来たすことがある。有効な治療法も見つからずパニック状態になった。
ただ、天空都市ではこの粒子による発病が起きないことが解り、地上の人々は次々と天空都市へ移住した。やがて、過密状態となった天空都市はさらに巨大化し高層化していった。
そして、2400年に起きた地球規模の巨大地震による大洪水が天空都市への移住に拍車をかけ、2999年現在、地上の人口は皆無となり廃墟と化していた。一方、天空都市は更なる発展を遂げかつて人類が経験したことのない世界が完成しつつあった。
天空都市での移動手段は空中移動が主で、その昔、パラグライダーと呼ばれていたものを原型としていた。そこには最新の技術が盛り込まれており、パラスライダーと呼ばれている。それはマナトランスファイバーと呼ばれる特殊繊維で作られ、柔らかな布状の翼の下に、人が乗るカプセルを備えている。マナファイバーは風を熱に変える性質がある。熱として蓄えられた、エネルギーを再び、圧縮空気にし、噴射する性質まで、備えたのがマナトランスファイバーだ。この高機能線維の発明のおかげで、環境を汚すことなく、移動できる手段が獲得できたのだ。もはや昔のように“エンジン”と呼ばれた原始的な燃焼システムは姿を消し、大気汚染という言葉は死語になっていた。
そして、このファイバーを、可能にしたのが高層都市の建築のために開発された、パナフィブリンという特殊な超多機能素材で、天空都市を構成するのに欠かせない重要な素材である。この、パナフィブリンの出現により、が地球上の人間社会が一変したのであった。
天空都市は、自然に満ち溢れている。創成期は、人工的だった、街も時の流れとともに、動植物の生命にあふれ、実に豊かになった。その背景には、自然と同化するため、科学者達の絶え間ない、努力があった。
各空中都市は、その都市内で、ほぼ完全な、自給自足が、可能になっていた。2000年初期の、農薬や、添加物などの化学物質に、まみれた、無秩序な食卓、大気汚染による喘息、花粉症と言われた病、癌と呼ばれた病には、猛毒の化学物質を、治療薬として使用されていた、ことなど、現代人には、とても信じることの出来ない、野蛮な時代が、存在したことを、人々はほとんど、忘れかけていた。今では、科学と自然の融和により、食物から、人の病気まで、的確に、しかも、自然に逆らうことなく、その問題点を、解決することが出来る。人々は、幸せに暮らし、人類史上、最も高度で、かつ自然との調和を、実現した時代だと、誰もが、自負していた。
しかし、一部、専門化の間で、深刻な問題が、囁かれはじめていた。それは人々の体に、現れ始めた、変化だ。かつて体毛は、一本ずつ生えていたが、最近、枝分かれした、白い体毛が増え、皮膚もかさついた、鱗状の皮膚の、人間が増えつつあった。あごも、昔の人間に比べると、小さくなり、鳥人化現象などと、ささやく人も、あった。
完璧に思われた、空中都市の環境にも、欠点が現れ始めたのだ。国連専門化チームによる、最新の調査報告では、食品の中に含まれている、微量元素の不足が原因である可能性が、指摘された。日本における調査では、いわゆる鳥人化現象は、かつて地上で栽培されていた米(グラナと人々は呼んでいる。)を食べたことの無い世代に、多く見られるということが、明らかになったからだ。
日本ではグラナを食べると、かつて地上で蔓延した、原因不明の疾病に罹患すると、デマが流れたため、ノアナ(強い風と乾燥しがちな空中都市の環境で育つよう遺伝子組み換えのされた米)を人々は求めて、食べるようになった。さらに、ノアナで育った世代は、グラナを食べると、消化不良をおこすことが多く、自然とグラナは、食卓から姿を消していったのだ。
「このまま、世代を重ねますと確実に人類は、滅亡すると思われます。」
と、地球保健機構の会議で、日本代表の笹部雄飛朗は、最終報告を行った。他の国々も、各々の国の主食の変化による、同様の問題をかかえていた。
それでは、グラナを食べてゆくように推奨すればよい、という話になるが、実は純粋なグラナは、すでに絶滅していたのだ。2000年前後から、行われてきた様々な、遺伝子組み換え米の出現により、オリジナルのグラナは、やがて忘れ去られ、消え去ったのだ。
日本に戻った笹部雄飛朗は、政府に結果を報告し、専門家達による対策委員会を、立ち上げることになった。
タイムマシン
後日、開かれたグラナ対策委員会では討議の結果、20年前に使用が禁止になった、タイムマシンの使用を、条件付きで解禁の上、適任者を一名決定、2000年へタイムトリップし、化学物質に汚染されていないグラナを、持ち帰るということになった。2000年初期はまだまだ、農薬や、化学肥料が使用されていた頃で、汚染されていないグラナを見つけるのは、困難だという指摘がなされた。しかし、タイムマシンが適応しうる時代として、2000年頃が限界だとして、そのようになった。
そして、いよいよタイムマシンに乗る、適任者探しが始まった。適任者の条件としては、農学に詳しいもの、時空法律学を修得しているもの、考古学に詳しいもの、体の丈夫なもの、であった。
それから、様々な討議の結果、3名の候補者が選ばれた。彼らはこれから半年をかけてタイムトリップのための訓練を受け、適応できるかどうかを判断されることになる。3名の候補者のうち一人は考古学者、もう一人は警視科学技術院の研究者、そしてグラナに詳しい大学助教授であった。
訓練の半年後、グラナ対策委員会は壁に突き当たっていた。それぞれの候補者は皆、80%条件をクリアしたのだが、想定外のトラブルに対処する能力が、低かったのだ。
実はタイムマシンはまだ完全なものではなく、大変リスクを伴う。タイムトラベルの行程でトラブルの発生することが多かった。20年前に中止されたのも、それが理由だった。
そんな中、笹部雄飛朗はひそかに原野イオという人物に目を付けていた。彼はサーカディアン・ウォッチ社の技術者だ。
サーカディアン・ウォッチ社は2050年、時間生物学の研究者、黒野梅雄博士によって興された。彼は体内時計の研究を通じて、時計に支配された社会に、疑問を抱くようになった。そして、人のリズムと自然のリズムを同調させるためのシステムを開発、それをサーカディアン・ウォッチという腕時計に組み込むことに成功した。
サーカディアン・ウォッチを装着すると、その人の体温や心拍数、発汗量の変化、そして汗から得られる体液成分を解析することが出来る。そしてそれらの情報を元に、いつ休息すれば良いか、食事は何をとれば良いか、運動は何をどれくらいすれば良いかを、教えてくれるのである。
このシステムはやがて社会全体に取り入れられるようになり、メガ・サーカデイアン・サーバーが開発された。これは例えば、いつ、どの人間にどういう仕事をしてもらうのが最適か、を提示することが出来る。これを利用することで個人に無理がなく社会が潤滑に機能するシステムが、可能となったのだ。
現在の巨大空中都市群は、そのサーカディアン・システムを具現化した集大成とも言える。
原野イオはそのサーカディアン・ウォッチ社の技術者なのだ。しかし、笹部雄飛朗がなぜ彼に目をつけたのか、彼は単なる技術者に過ぎない。しかも、問題だらけの男なのだ。
彼はサーカディアン・ウォッチ社の社員でありながらサーカディアン・ウォッチを着けない。サーカディアン・コンタクトやサーカディアン・パッチなど思いつく限りのものを勝手に試作しては使用し、メガサーバーを混乱に落とし入れてしまうことがしばしばだった。サーバーがダウンすれば社会全体が麻痺してしまう。そのため、彼は警察のご厄介になることがしばしばだった。
それだけではない、彼は自分のパラ・スライダーに改良を重ね、翼をつなぐラインを自在に短縮できるようにした。さらに超低空飛行用のパナボードを足に装着し、翼と直結できるようにした。彼は翼の下にあるカプセルを排除、身一つで、大空を飛びまわれるようにしたのである。
彼はこれをネオ・クラシックスタイルと言い。若者はイオ・ボードと呼んで、憧れた。丁度、2000年前後に流行した、ウインドサーフィンとカイトボードを掛け合わせたようなものだ。
それで雲海を飛行するのだから若者が憧れるのも無理はなかった。
このイオ・ボードで個人の高速飛行が可能となり彼はそれで空中都市を自由自在に行き交った。
彼はその後も懲りることなく、トラブルを多発していた。パナエアバスとのニアミス、国会議事堂への墜落事故(これで、彼はテロと間違えられ、いっきに、有名になってしまった。)など、数え上げればきりが無い。
しかし、そこがタイムトラベラーとして彼は適している点だと、笹部は考えた。だが、問題だらけの彼を公に推薦することは難しい。
笹部は秘書に命じて密かに行動をおこした。原野イオの行動パターンを徹底的に調べ上げ、ある事件を仕掛けたのだ。
ヒーローの誕生
笹部はある朝、いつもの様に公用パラ・スライダーに乗り込んだ。操縦席の秘書に合図を送ると秘書はフライトを始めた。しかし、その航路はいつもと違う。しばらく、飛行を続けると案の定、原野の操るイオ・ボードを見つけた。笹部は秘書の肩を叩くと原野の姿を指差した。
程なく、秘書は原野の方へまっしぐらに急降下を始め、原野のすぐ脇をかすめ、そのまま降下を続けた。
原野の脇をかすめたのには理由がある。秘書は急病で意識を失ったふりをし、それを原野に気付かせるためだったのだ。
原野はとっさのことにバランスを失ったが、なんとか体制を建て直した。今のニアミスの瞬間が脳裏に浮かぶ、
(確か、操縦士はうつ伏せていたよな・・・・。)
原野はイオボードを急降下させた。パナスライダーに追いつくと、あの笹部雄飛朗が助けを求めている。
(こいつは大変だ!)
原野は笹部にハッチを開くようジェスチャーで示した。笹部はひきつった顔でハッチをなんとか開くと座席にしがみついた。原野はイオボードのセイルをたたむとそのままパナボードで滑空、パナスライダーに接近し、操縦席へ飛び乗った。
急降下していたパナスライダーは何とか体制を取り戻し、事なきを得た。
翌日、原野は保健省に招かれ、笹部大臣から感謝状を贈られた。
「ご自慢のイオボードが台無しになってすまないね。しかし、お陰様で助かったよ。」
傍らに立つ秘書も深く礼をした。実はあの時、あまりにも急降下させすぎたために秘書は本当に気を失っていたのだ。危ないところだった。
ともあれ、笹部の計画は成功を収めた。その日のニュースはこぞって原野イオが笹部大臣を救ったことを報じた。たまたま現場に居合わせた一般人が撮影した映像も公開され、彼はアウトローから一躍ヒーローになったのだ。
その後、笹部は委員会にタイムトラベラーとして彼を推薦し、委員会も満場一致で賛成した。
タイムトラベル
タイムトラベル、それは好奇心旺盛な原野にとって、とてつもなく魅力ある言葉だった。それが今、自分のものになろうとしている。笹部大臣の推薦を断る理由など、どこにもなかった。
しかし、拘束されることが誰よりも嫌いな彼には、タイムトラベルのための教育訓練は苦痛以外のなにものでもない。教育係りには前回の候補者3人が当たることとなった。たまには新しいイオボード(笹部がお礼にタイムトラベル研究所に依頼、最新技術を投入したイオボードをプレゼントした。)でエスケープすることもあるがタイムトラベルという夢のために彼はなんとか頑張った。
半年の訓練を経て彼はようやくタイムトラベラーとして合格点を与えられた。特に卓越していたのはやはり、想定外のトラブルに対する対処で、スタッフ一同をうならせた。
そして、いよいよタイムトラベルの日程が2ヶ月後に決まり、最終的な打ち合わせが始まった。
「目標年月日は西暦1999年9月1日とします。場所は現在地、つまりこの空中都市の下、地上になります。原野イオさんの現地での職業は名水の販売。水は当空中都市の飲料水を商品とします。」
水の販売により、当時の通貨を入手、それを元手にグラナを購入するというプランだ。当時の資料によると、人々は名水と呼ばれる各地の美味しい水に、お金をだして購入していたらしい。
空中都市の飲料水は上空の大気より集めた水分を処理したもので、分析では当時の名水に味は劣らないとの結果が出ている。
20年前、タイムトラベルが中止になったが、その一つの大きな理由がトラベルの過程でスリップアウトしてしまうことがあり、行方不明者を出してしまったことにある。
今回はタイムトレイサーシステムの開発によりスリップアウトの危険性が軽減された。これは、超小型のタイムマシンを先行して目標と現在を往復させることでいわば道をつけるようなものだ。
それから、現地での協力者が必要になるがメモリーインジェクターの使用によりすでに関係すると思われる人間には、必要な記憶の刷り込みが完了している。これはタイムトレーサーとして使われる超小型タイムマシンの遠隔操作により行われた。
そして、いよいよその日が来た。タイムマシンを目の前にしたイオは、興奮を隠し切れない。しかし、おかしな事に気が付いた。タイムマシンの底に組み込まれている装置に見覚えがある。そう、イオボードが組み込まれているのだ。
「実はね、このイオボードにタイムトラベル機能を追加させたのだ。万が一の時にはこれを使って欲しい。」
見送りにきた笹部大臣がそう付け加えた。
1999年頃の服装に着替えると原野イオはタイムマシンに乗り込んだ。なんだか、ぶかぶかして落ち着かない。計器類のチェックを終えると彼はスタッフに会釈した。
秒読みが始まる。3,2,1,0・・・・・。
マルチウェイブサップレッサーが始動し、周りの騒音が消え、人の気配も消える。かすかに自分の心臓の鼓動だけが聴こえ、確かに自分の心臓は動いているのだが自分の動作も周りのスタッフ達も止まって見える。それでいて彼らの心や周囲の雰囲気、さらに研究所の外の様子までもが手に取るように解る。
それは、とても穏やかな気分で、予想とは違うものだった。
やがて、周囲は消え去り、何も無い空のような空間に包まれる。
何も見えず。何も聴こえないが、全てが見え全てが聴こえる・・・。そんな不思議な体験の後、時空共鳴装置が働くとワープが始まった。
と、突然、色々な匂いや、騒音、光景が入り乱れて渦となり、めまいを起こしそうな耳閉感に襲われた。
「ドーンッ!」
内臓をえぐるような重低音が鳴り響く、ワープの終了だ。
軽い失神の後、頭を振り、あたりを見回す。場所はビルの屋上で駐車場らしい。屋上には看板を照らす、巨大なライトがあり、真っ黒な夜空を照らしている。
周囲に誰もいない事を確認すると、タイムマシンのスイッチを切り替え、マシンを1990年代の車に変身させる。
レトロなマシンに変身させた後、ドアを開け車外にでた。
「ヴェホッ、ウフォ、ヴェーホ!」
突然イオは咳き込んだ。空気が恐ろしく汚い。慌てて車内に戻り、マイクロ・エアフィルターを吸入する。
(ふーっ、危ないところだった・・。)
ほっと一息すると、今度は恐る恐るそる、車外にでてみた。今度は大丈夫だった。訓練で聞いてはいたが想像以上に大気が汚染されているようだ。もう一度、訓練の手順を思い出し、イオは車内で朝を待った。
どれくらい居眠りをしていたのだろうか、窓に射し込む陽射しで目が覚めた。時刻は朝の6時だった。
車のエンジンを始動し、1999年の街へ出る。車は外見上、他の車と全く見分けがつかない。一応、エンジン音も似せ、排気ガスのような煙も出すが、実は燃焼機関を全く使用していない。ガソリンの必要も無く、太陽光、進行風によるエネルギー転換、などを利用して走っている。
「えっと、これが信号で、左側を走るんだな・・・。」当時の交通規則を訓練どおり復習しながら少しずつ慣らしてゆく。
一時間も走るとかなり慣れてきたが、交通量が増してきたので大変だ。
(すごいな・・。)
あまりの交通量の多さ、そしてスピードに驚愕する。運転の練習を切り上げてそろそろ、目的の玄気屋という食品販売の店に向かうことにした。予定ではここで未来より持ってきた水を味禮(みらい)水(すい)という商品名で売り出すことになっている。これも、タイムトレーサーによりメモリーチップが玄気屋の主人に埋め込まれその指示通りに主人が段取りを整えているはずだ。
店の前に着くと玄気屋の主人らしき人が笑顔で迎えにでた。
「いや〜、待ちかねましたよ、味禮水、今日は沢山お客が来ますからよろしくねえ。」
車のハッチを開け、水のタンクを出す。お客を迎える準備を整えた。店には味来水本日発売の張り紙がしてある。メモリーチップはうまく作動しているようだ。
その日、玄気屋には長蛇の列が出来、水は午前中で完売した。玄気屋の主人は上機嫌でイオに支払いを済ませた。イオはこれからこの資金でグラナを購入しに産地へ向かうのだ。主人にグラナのことを聞くと、それは古代米の事だろうと教えてくれた。そして、玄気屋の表に出ると向こうに見える山の方を指差して、
「あの山の峠を越えると湖があって美(み)映(はえ)村(むら)という村があります。そこの春日井さんを訪ねてみてください。」と教えてくれた。
さっそく、イオは車に乗り込み美映村を目指した。その道中サーカディアンコンタクトを装着して走ってみたが、街を歩く人たちのほとんどが異常な健康状態にあることに驚いた。実は先程の水の販売の際もコンタクトを装着していたのだが、コンタクトを通して見る人たちの健康状態はおぞましい状態だった。
サーカディアンコンタクトは健康であれば普通の肌色に見えるのだが、健康を害しているとその健康状態により、その人の顔色が赤色に見えたり、黄色や緑に見えたり、最もひどい状態の時は黒に見えるように設定されているのだ。そして、あの時は肌色の顔色の人を見つけることが出来なかった。玄気屋の主人でさえ真っ赤な顔をしていたのである。それは、水を求めて来た人たちだけの事だろうと、思っていたのだが、車から見る街を行きかう人たちの顔色も、同様だったのだ。
(どうなってるんだこの時代は)
本当にイオの時代が求める古代米がここにあるのか不安になってきた。イオの時代ではサーカディアンコンタクトを通してみてもほとんどの人が肌色に見える。こんな異常な経験は初めてだったのだ。
不安を募らせながら、しばらく車を走らせると美映山が近づいてきた。次第に緑が増え、道を行き交う人たちの顔色も、異常な色が少しだが、薄らいできたような気がする。
峠にさしかかると道は狭くなり、立て看板があった。
この先、ガソリン車、ディーッゼル車など大気を汚染するものの侵入を禁ず。
と書いてある。イオは少し考えた後、峠の横手に見える永楽寺というお寺に車を止め、そこの住職にどうしたらよいものか、尋ねてみる事にした。
お寺の門をくぐると丁度、和尚さんらしき人が庭を掃いていた。驚いた事にその人の顔色は全く正常できれいな肌色をしていた。それどころか、イオの時代でもあまり見られないくらい健康そうで、生命力に溢れている。
「どうかなさいましたか?」
イオに気付いた和尚は顔を上げると、そう言って、穏やかな笑顔を浮かべた。そこで、美映村へ行きたいのだが車が通行禁止なので困っていることを話した。
和尚と交渉の結果、車は寺の境内に置かせてもらうこととなり、村へは歩いて峠を越えることになった。
寺を出て、峠を登りその頂に差し掛かった。見下ろすと、山頂湖と呼ばれる直径2キロメートルほどの小さな湖を中心として、緑に包まれた美映村が、涼やかな風にそよいでいた。
空はどこまでも晴れ渡り、無限にも思える。そして、この色が、村全体をすっぽり包んでいる。
その澄んだ空気を、胸一杯に吸い込んで、イオは峠を下り始めた。
(なんて美しいのだろう。)
イオはこのような自然を、見たことが無かった。和尚の話しではこの村は、大気汚染を避けるため、車を拒み、命の源となる湖を守るため、その田畑には農薬を拒み、その美しい自然を守り続けているのだと言う。それで、この素晴らしさが残っているのだ。
和尚は、この村の田畑から採れたものをいただいていると、言っていた。
(だから、あの健康が、保たれているのだな)村の美しい風景を見ればそのことがよくわかった。
峠を下って行くと、湖を吹く風が、周囲の、緑の精を含んで、薫ってくる。そのまま目を閉じて、歩き、その風を吸い込むと、胸一杯にその景色が広がる。こんな風な、幸せを今まで感じたことが無かった。イオは、ずっとここに居たい、と思った。
峠を下り、しばらく湖畔の道を行くと、大きな田畑を抱えた一軒家があった。春日井と表札が掛かっている。ここが古代米を分けてくれる農家だ。
「あんた、原野さんかね。」
鍬を抱えた六〇代位の男性が、畑から出てくると、その家の前で声をかけてきた。それが、春日井さんだった。
「古代米だろ?玄気屋から聞いているよ。」
彼はイオの方をチラッと見ただけで、家の中へ消えていった。
しばらくすると、春日井さんが手押し車に米袋を3つ載せて出てきた。
「赤と黒と緑の3種類とも、ここにある。白はどこにでもあるから、いいだろ?」と額の汗を拭いながら、彼はぶっきらぼうに言った。
驚いたことに古代米は、一種類ではなかった。
色が3種類もあるのだ。それにイオの時代では、赤と黄色と緑の3種の粒状の食料を体調に合わせて、配分し食べている。何か不思議な気がした。
米代の支払いを済ませると、春日井さんは息子さんの晴君を呼んだ。峠まで彼に電気自動車で私と古代米を送らせようというのだ。
彼は丁度、ウインドサーフィンと、呼ばれるスポーツをしに、山頂湖へ出かけるところだったようで、快く引き受けてくれた。
イオはここへ来る途中、湖で走っていた色とりどりのセイルを思い出した。それがウインドサーフィンだと聞いて、彼はそれを試さずにはいられなくなった。晴君はそんなイオの様子を察して、もう1艇ウインドのセットを車に積んでくれた。これから一緒にウインドしようというのだ。
湖につくと、晴君から手ほどきを受けたイオは、すぐに乗りこなすことが出来た。空中のイオボードに比べれば水上ははるかに安定しているので容易であった。しかし、風に光る湖面を波音だけを立て、疾走する瞬間は、生命の喜びに溢れていた。イオボードで空中を滑空する時と比べると、とても優しく、温かな感覚が、体中を包んでゆくのだ。
そのまま、その風景の中に溶け込んでゆくかのように・・・。それは、かつて経験した事のない何とも言えぬ感覚だった。
あまりの幸福な時間に、イオはすっかり時間を忘れていた。
ウインドの後、晴くんと話しこんでいると、すっかり夜が更けてしまった。今から戻っても、この時代に来た時の、駐車場のあるスーパーの閉店には間に合わない。
しかたがないので、峠の永楽寺まで送ってもらうと、イオは車の中で夜を過ごす事にした。
車の中で寝支度をしていると、永楽寺の小僧がやってきて、ドアをノックした。和尚が寺に泊めてくれるというのだ。イオは和尚の言葉に甘え、泊めてもらうことにした。
中に通されると、広間に和尚が食膳を前に座っていた。見るとイオの分もすでに用意されている。
「今日は随分と楽しまれたようですな。」
今日一日ですっかり日焼けしたイオの顔を見ながら和尚は嬉しそうに言った。
イオは恐縮しながら勧められるままに食事をいただいた。
この時代の食事を口にするのは、これが始めてだ。ほとんどの食材が、美映村で採れたものだという。まず、味噌汁というスープを口にしてみる。中には南瓜、玉葱、若布が具として入っている。こくがあり、香ばしい味がする。次にこの時代のお米を炊いた玄米ご飯、わきたつ湯気を頬張るようにゆっくりと噛み締める。なんと、深い味わいだろう。これが料理というものか・・・。イオの時代では料理という言葉さえ存在しない。ただ、体調に合わせて数種類の粒状のエッセンと呼ばれるものを食べるだけなのだ。
玄米をかみ締めて飲み込み、しばらくすると、胃袋が「クゥッー、クゥッー」と鳴り出した。(な、なんだ、これは!)
「はっ、はっ、はっ・・」
その音を聞いて和尚が笑い出した。
「胃袋が喜んどる。よかったですのー。
ここの食物は最高じゃからなあ。」
そういうと、彼はもう一杯、玄米を勧めてくれた。
和尚は食事をしながら、人間の体にとって新鮮な良い食物が、いかに大切であるかを教えてくれた。この時代には、この村のように土や水を大切にし、食物を尊ぶ心が欠けている。このままでは未来がどうなるのか心配だ。と、イオをじっと見つめながら言った。
イオはその時、和尚に全てを見透かされているような気がして、少し怖かったが、そんなイオを尻目に和尚はにっこりと笑い。
「ゆっくり、休んでゆきなさい」と言い残し部屋を出て行った。
次の朝、玄米おにぎりと沢庵というお漬物を持たせてもらい。寺を後にした。
例の屋上の駐車場にもどると、車内で仮眠し、タイムトラベルのため、人目につかぬ夜を待った。
すっかり夜も更けた頃、イオは目覚めた。
タイムトラベルで疲れていたのか熟睡したのだ。過去の時代の夜景をしっかりと目に焼き付けると、タイムマシンモードに切り替え、タイムマシンを作動イオの時代へ、グラナを持ち帰った。
イオの持ち帰ったグラナはさっそく栽培実験が始められた。一方イオはその後、幾度となくタイムトラベルを繰り返し、日本各地のグラナを持ち帰った。そして、最後のタイムトラベルとなったその日、彼はもう一度あの美映村に立ちよった。永楽寺の和尚にたびたび、料理法を学んでいたのだ。
イオは「仕事を廃業し田舎に帰ろうかと、思いまして。」と、和尚に今日が、最後になることを伝えた。
「まあ、基本は修得したようじゃから、あとはあなた次第ですよ。」
和尚はそういうと気持ちよくイオを車まで送ってくれた。エンジンをかけると少し異音がする。度重なるタイムトラベルで傷んできたのか車モードにしても異音がするのだ。
「少し変な音がしませんか?くれぐれも気をつけてお帰りくださいね。」
いつもはにこやかな和尚も気のせいか、今日は顔つきが、厳しい。
「大丈夫ですよ、これぐらい。」
この異音は今に始まった事ではないイオは度々この異音の事をエンジニアスタッフに訴えたが、何度検査をしても、異常がないので大丈夫という返答があるだけだった。
「あなたは、少し疲れておいでじゃ、今のあなたは、ここに居るけれども、ここには居ない。心がここにありませんな。移動ばかりで疲れたのでしょう。いいですか、自分の心と響くものを大切にすることです。そうすれば、あなたがどこに居ようとも、その場所が、あなたの居るべき場所になるのです。」そう言い終わると、和尚は境内の外まで、イオを見送った。
今日が最後だし、心配ないだろう。和尚と別れの挨拶をかわすと、いつものように例の駐車場の屋上に着き、タイムトラベルに入った。
時空共鳴装置を、2999年に設定、始動させると間もなく、ワープが始まる、いつもと変わりなく、周囲は音も無くなり、静まりかえる、そして、無限のような静けさの中で、全てが手にとるように見えるような、あの独特な感覚がやってくる。「いいですか、自分の心と響くものを大切にすることです。そうすれば、あなたがどこに居ようとも、その場所が、あなたの居るべき場所になるのです。」どういうわけか、あの和尚の声が響いている。
ワープも終盤にさしかかり、2999年のイオの街が見えてきた。そして、タイムトラベル研究所のドームが見えてくる。と、その上空をいかにも古めかしい、パナスライダーが飛んで行く、(いや、あれはパラグライダーだ、なんで、あんな古いものが。)すると、パラグライダーの主がこっちを向いて、手を振って、何か叫んでいる。向こうからはこっちが見えるはずが無いのに、イオは訝しげに思った。と、次の瞬間、突然、ゴゴゴ、ゴゴッーという、地球の底から、鳴っているような強大な音響につつまれた。
すると、研究所の景色は、どんどん遠ざかってゆき、ぐるぐる景色がまわると、突然、山のように巨大な波が目前に現れ、イオの操るタイムマシンを飲み込んだ。
グゴォー、ゴォゴーガーッ、ガガガッ、
タイムマシンは滅茶苦茶になりながら、海底へ引きずり込まれ、マシンの窓の外は、茶色や白い泡、そして、なんとも恐ろしいどす黒い液体が渦巻いている。マシンは悲鳴にも似た、きしみ音をたてて、今にも押しつぶされそうだ。
「君は、技術者であり、創造力に富んでいる、そして何よりも想定外の出来事に、対処する能力に長けている。」
笹部大臣がイオを、タイムトラベラーとして選んだ時に、イオに言った言葉がなぜか、頭をよぎる。(想定外って言ったって、こ、これは、どうすれば良いんだ。)
と、次の瞬間、ズズン、ドガガガガッーと、さらに振動が加わり、マシンがたわみ始めた。このままでは、押し潰されてしまう。
何とかしなければならない、上下左右を見回しながら、頭の中をかき回した。っと、次の瞬間、タイムマシン機能のついたイオボードが、タイムマシンの底、脱出カプセル内に装備されていることを思い出した。ぐるぐる回転する中で、何とか床のハッチを開いてみると、イオボードの端が、ちらっと見えた。まだ、破壊されずに無事なようだ。ハッチにしがみつきながら、急いでイオボードの所へ潜り込む。ストラップに足を固定、ブームを握ると脱出ボタンを押した、っと、その瞬間、耐えかねた、タイムマシンは押し潰され、ついに爆発してしまった。
イオとイオボードは海中を吹き飛ばされ、巨大な波の中へさらに飲み込まれてゆく、もみくちゃになる中で、脱出カプセルにひびが入り、浸水が始まった。っと、瞬間、イオの目に光が映った。(今しかない。)海面が近いと判断した彼は、カプセルのハッチを開き、脱出をはかった。
一気に海水がカプセル内に流れ込み、イオボードは中々脱出できない。一か八か、イオは狭いカプセル内で、パナセイルを可能な限り開き、カプセルに備え付けられた、エアインフューザーを無理やり押し込んだ。
すると、注入された空気でセイルはどんどん膨らみ、カプセルを引きずりながら海面へ浮上しはじめた。
途中、カプセルが外れると、一気にイオと、イオボードは海面へ浮上した。
「ヴゥッーワッ、ウオッ、オヘッ、」
途中、海水を飲み込んでしまった彼は、
しばらく、青くなりながら、もがき苦しんだ。しかし、そんな中でも容赦なく、また一つ巨大な波が、迫ってくる。
あわてて、彼はイオボードを立て直し、セイルをセットすると、どんどんと盛り上がる海面の坂をすべりおりた。
振り返ると、背後に迫った波は、山のように巨大になっていた。背筋が寒くなり、足がすくんで、ブームを握る手がわなわなと震えている。(とにかく、テイクオフするしかない。)イオボードが飛行するには、まだ充分な加速が得られていないのだが、待っているわけには行かない。
思い切って、ジャンプし、セイルを目いっぱい開き、浮力を稼ぐ、ブームでパンピングしながら、マナトランスファイバーに必死で空気を送り込んだ。それでも、イオボードはどんどん、降下してゆく。海面が近づき、上からは巨大な隕石が落ちてくるかのように、崩れ始めた波の山が迫ってくる。
「クッソー!!」
イオは、最後の渾身の力を込めてセイルを破れんばかりに、思いっきり引き込んだ。
もうだめだ・・・・・。
と、思った瞬間、マナトランスファイバーが真っ赤に熱を持ち始め、セイルエッジから強力なジェットが噴出した。
帰還
「ふ〜、助かった。」予測以上の噴射力で、イオボードは一気に、上空に達し、山のような津波をかわすことができた。トラベル研究所の技術が注ぎ込まれたイオボードは想像以上のパワーを持っていた。
それにしても、今まで、色んな冒険をしてきたイオも、こんな経験は始めてだ。さすがの彼も肝を潰していた。
しばらく、上空を飛びながら、この大災害を見ていたイオは、ふと我に帰った。
ブームに取り付けられたメータを見ると、2400年を示している。どういうわけか、あの大洪水の時代にタイムスリップしてしまったらしい。
(戻らなくては。)イオは彼の時代へ、設定しなおし、イオボードでの初のタイムトリップに挑む。シールドウェアをボードのボックスから取り出して、着用すると、マルチウェイヴサプレッサーを作動させる。呼吸を整え、心拍数を落として行く。タイムカプセルとは違い、タイムトラベラーの生体反応がタイムトラベルに影響しやすくなるため、心拍数を40回/分以下にしなければならないのだ。
脈拍数が39に成った時、自動的に時空共鳴装置が作動を始めた。「いいですか、自分の心と響くものを大切にすることです。そうすれば、あなたがどこに居ようとも、その場所が、あなたの居るべき場所になるのです。」どういうわけか、また、あの和尚の声が響いている。呼吸を整え、静かに目を閉じ、和尚の言葉を頭の中で繰り返した。
すると、辺りはとても静かになり、とても穏やかな気持ちに包まれ始めた。心拍数がどんどん落ちてゆく。そっと、目をあけるとそこには空にも似た、無限にも思える空間が広がっており、その中へすーっと、吸い込まれてゆく。それはとても、幸福な時間で、恐怖も、不安もない。次第に、体中から力が抜けて行き、何とも言えず、心地よい温かな感覚が、足元から登り始めた。お腹を温め、心臓を温め、胸を満たしてゆく。
(ああ、俺はこのために生きているんだ・・。)その時ふと、そんな考えが浮かんだ。
フーゥーーッンッ!突然、無限の色が空に変わり、イオボードが落下を始めた。見ると下のほうにタイムトラベル研究所の屋根が小さく見える。(うぉ〜っ、戻ってきた。)
あわてて、体勢を建て直し、飛行を始める。ここからはイオのお手の物、かなり、高度が高いがなんなく、研究所のすぐ、近くまで降下した。
なぞのパラグライダー
研究所のドームが開き、着地しようとすると、タイムスリップする前に見た、あのパラグライダーが突然目の前に現れた。パラグライダーの主はクラッシクなゴーグルをはめ、どこか懐かしい感じのする、髭をはやしている。見ると、ついてくるように手招きしている。何があるのか、なぜかその気になったので、研究所を尻目についてゆく事にした。
パラグライダーは旋回しながら、どんどん高度を下げてゆく。天空都市よりも下になり、どうやら地上を目指しているらしい。すると、その先のほうに、なにやら見慣れた風景が見えてきた。(あれは・・・。)
そう、美映村だ。キラキラと光る山頂湖が見えている。イオは天空都市の色々なところを飛び回ってきたが、彼の時代では、地上へ降りた事がなかった。それは、地上へ降りると、あの原因不明の難病に罹ってしまうと噂されていたからだ。しかし、過去の美映村を知る今は、なぜか、その恐怖が無くなっていた。それに、あの髭面のパイロット・・。
美映村の山頂湖の辺に着陸すると、パラセイルをたたんだ、髭面の彼が近づいてきた。
「やあ、イオ君。」どういうわけか、彼はイオの名前を知っている。それに聞き覚えのある声。彼が、ゴーグルをはずすと、イオは仰天した。
「お、和尚さん!。」そうそれはまぎれもなく、あの和尚だった。
「無事で何よりだった。」和尚はそう言うと彼の手を両手で力強く握った。
そして、彼は手招きをすると、歩いて美映村を案内し始めた。それはあの過去の美映村
と全く変わらない姿で、村の人々もとても元気そうだ。
和尚の話しでは、かつて地上に蔓延した、なぞの難病は、今は存在しない。天空都市が出来始めた初期の頃に、その建造物の主要物質として用いられた、パナフィブリンが変性を起し、パラミクロフィブリンとなって、人体に害をもたらしたのだが、その後、改良が加えられ、難病の原因は無くなって現在、地上は全く安全であるということらしい。
「しかし、世界各国の首脳達は、申し合わせて、その事実を隠したのじゃ。」
天空都市が完成し、成熟した今、人々が地上生活に目を向け始めると、現在の社会構造が崩壊してしまう可能性があり、それを恐れたため。地上では難病にかからないという事実を、ひたすら隠し続けてきたのだ。
和尚の話しを一通り聞き終わった、イオは改めて、美映村を見回した。
あの時と同じ、豊かな自然が育まれている。いや、むしろ、自然の深みがさらに、増しているようで実に活き活きとしている。
(こんな所が、今の世にもあったのだ。)
感嘆にふけっているイオだったが、大事なことを思い出した。
「ところで、和尚さんはどうして、今ここに居るのですか・・?」そう、とても不思議な事実である。
そう言われると、和尚は、何も言わずに湖を見ながら、しばらく笑っていたが、イオのほうを向き直ると問いただした。
「君はサーカディアン・ウォッチ社の社員じゃな・・。わしの顔に見覚えがないかね。」
そう、言われてしげしげと、和尚の顔を見つめていたイオは、はっと、何かに気付き、大声をあげた。
「あ〜っ、あ、あなたはひょっとして、く、くろの・・。」
そう、彼はサーカディアンウォッチ社の創設者である、黒野梅雄博士だったのだ。彼は
なぞの、事故死によりその生涯を終えたと言い伝えられてきたが、それは誤りだったようだ。
博士の話によると、彼はサーカディアンウォッチを中心としたシステムを開発したが、彼の発明はそれだけではなかった。彼は時間生物学を研究するうち、時間に対する理解を深めた。そして、移動という既成概念に疑問を抱くようになり、やがてその結果、現在の時空共鳴システムを開発するにいたったのだという。
しかし、そのシステムの発明は当時の政府により極秘事項とされ、博士はある、汚職事件をでっちあげられ、逮捕されることとなった。が、其の直前になぞの事故死をしたということになっている。
実際は逮捕直前に博士は爆発事故を装い、極秘裏に作ったタイムマシンで脱出、タイムトラベラーとなった。そのうちに、美映村を知り、その素晴らしさに心を打たれた博士は
難病の恐れが無くなった、天空都市時代の地上にやってきた。そして、密やかに地上生活を続けてきた人たちを集め、(天空都市の時代にも、わずかだが、地上生活を続けてきた人たちが居たのだ。)博士の抱く理想郷をこの美映村に築いたのだ。
そして、博士は天空都市で、タイムトラベルが再び始まることを聞きつけ、イオが過去の美映村に行くことを知り、永楽寺の和尚になりすまして、実は彼を待っていたのだ。
「いいですか、イオ君。」
博士はもう一度、イオ見据えると話し始めた。
「大切なのは、本質です。過去の時代も、この天空都市の未来でさえも、社会は本質に気付きながらも、見て見ぬふりをしてきました。
本質を見据え、それが、動き始め、実を結ぶまで、社会は待てないのです。あまりにも、速度が速く、結果を求められます。そのために、本質は置き去りにさされるのです。残念ながらそれは、私が見てきたいつの時代も同じです。」
博士は一呼吸置くと、また、湖を見つめた。
「いいですか、イオ君、この、水の一滴に、命が宿り、そのおかげで、私達が今ここに居るということを、忘れてはならないのです。絶対に。」というと、博士はギロッとイオを睨みつけた。
博士は仲間達とここに、その命を育み、それを糧として、生かされ、そして、ともに活かされる理想郷を築いたというのだ。
そこには過去や未来を見てきた博士の知識が注ぎ込まれていた。見ためには何もわからない、しかし、自然と共生するための全てが注ぎ込まれていたのだ。
イオは何事もなかったかのように、トラベル研究所にもどった。そして、役目を終えたタイムトラベルは再び封印された。イオが持ち帰った、グラナは遺伝子分析がなされ、人工的に生育することが可能になった。そしてそのネオグラナは市場に出回り、健康を回復するということで、爆発的に売れた。しかし、それが、過去から持ち帰ったグラナがもとになったこと、タイムトラベルが行われたという事実も世間に知らされることは、決してなかった。
やがて、原野イオは、また、社会を混乱に陥れる企てをしたということで、罪に問われた。もちろん、彼は無実である。黒野博士の時と同じように、政府はイオを社会から消し去ろうとしたのだ。
イオは博士と同じように、不慮の事故を装い姿を消した。
えっ、何処へって?
さあ、あなたなら、どうしますか。
完。
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