ノベルる

快楽遊戯

呉月娘作
俺は、人を殺し続けた。若い女、少年、老人など260人の人間を殺した。殺し続けなければ、俺は俺として生きていくことができない。
  この焦燥を、一体誰が分かることができるだろうか。この孤独を、一体誰が埋めることができるだろうか。果たして、この精神は人間としての精神であろうか。
  幼児期のトラウマというなら、俺の母親は淫乱だった。父親は酒乱だった。日常は、暴力と血の香りがした。そして、淫靡で罪悪に彩られた背徳があった。とっかえひっかえ男と母親は寝て、父親は怒りと酒の力で母親を殴る。まるで安物のドラマのようだった。言葉にすると酷くどうでもいいことだが、当時の俺は酷く悲しんだのだと思う。それこそトラウマになってしまうくらい。
  それとも産まれた時から、どこか壊れていたかもしれない。
俺は昔から生物が死んでいく姿が好きだった。猫や犬という動物を何度殺したか分からない。「生」が「死」に変わる瞬間に愛おしさが全身を包み、俺の欠けた部品を埋めていく錯覚に陥った。
  そんな俺が医者になり、殺人者になったのは不思議なことではないだろう。初めて人を殺したことを今でもよく思い出す。あれは、俺の初めての患者だった。もう長くは持たない患者だった。人口呼吸器を抜いたとき、体を包んだ快楽は鮮やかだった。(医者になってよかった)と心の底から思った。
  命を支配する快感、この快楽を知った瞬間に俺は逃れなくなった。それからの俺は、いかにして人を殺すか?という命題を至上のものとし、またそのために行動することを目的とした。まるで恋人のことを思うように俺に殺される犠牲者の姿を想像し、会えない恋人のために泣くように俺に殺される犠牲者に会えないことを思い続けた。
  そしてついに、記念するべきあの日がやってきた。あの日、何と言うべきだろうか。警察にとっては一人の連続殺人者が生まれた日であり、俺にとっては天国の扉が開いた日だった。


  あの少女は、家が嫌だから家出した少女だった。優しく話かけて、家に招待したよ。俺のこの姿に警戒するはずがないと分かっていたから、簡単だったね。俺は彼女に食事とシャワーを提供したよ。そして彼女が安心してくつろいでいる姿を確認し、後ろからロープで首を絞めたよ。
  あの苦痛に歪んだ顔。もがきながらも、必死に抵抗する様子。そして、何度も抵抗しては助けを呼ぶあの姿。
  何て美しいのかと愛しさで胸が詰まりそうになり、ますます彼女を殺してやらなければと思ったよ。
  苦痛、苦痛、苦痛、苦痛。
埋まる、埋まる、埋まる、埋まってゆく。
支配する者の充実と飢えた感情が覆われていく充実感。
頬が蒸気し、体に淫靡な熱が燃えていく瞬間だった。
  きっと、あの瞬間の俺の快楽と満足感を理解する者はいまい。また、この激しい淫靡で倒錯的な世界を知るものはいまい。
  例えるなら、あれは細胞が目覚める時の感覚に似ていた。世界が極鮮色になったのだ。
  死体の始末には少々面倒がかかったが、この世に行方不明者なんていうものは五万といる。まぁ見つかっても、家出少女が巻き込まれた不幸な事故で世間は済ますだろう。殺人は今の時代、ありきたりな日常だ。誰かが死んでいても、それは誰かが出したゴミ袋からはみ出したゴミにしか過ぎないのだから。
 

人の命は地球よりも重いなら、なぜ無関心で通す?なぜ自分のことしか見ない?俺が殺人という行為を犯してそれを悪だと断じるのなら、道端で倒れている人間を見捨てる人間を見捨てるということは悪ではないのだろうか?殺人が罪ならば、見殺しは罪ではないというのだろうか?
  詭弁?詭弁か…、まぁいい。詭弁であろうとなかろうと、今いる俺の状況が変わるわけではないのだからな。
  話を元に戻そう。とにかく一人目を殺して、二人目を殺してからは、自分のしていることにある種の職人的こだわりが生まれたね。それは「いかにして、この殺人を隠すか?」ということだ。
  一つ断っておくが、人間的な良心からではない。俺自身の欲望からだ。だってそうだろ?警察にヘマをして捕まるようなことがあれば、俺はこの楽しみを奪われなければならない。それは、俺にとっては不幸なことじゃないか。
  とにかく、そんなこだわりが生まれてからの俺はより一層上手く人が殺せるように努力したね。ありとあらゆる殺人の書物ーFBI心理捜査官、監察医、精神科医とういった殺人者を見るほうの書いた本をとくに念入りに読んだね。何故って、人を裁いた方から見た書物は、その犯罪者がどこで失敗をしたかを冷静に指摘しているからさ。その指摘を教訓にして、犯罪を重ねるほうが自分にとってはいい結果になるだろう。
  そのかいがあって、たった260人とはいえ、随分な人間を殺したことだろう?薬殺、絞殺、刺殺…。時には無秩序型犯罪者のように欲望に身を任せて、時には秩序型犯罪者のように計算をして。まるで殺人の見本市のように、ありとあらえるやり方で人を殺し続けたものだ。
  楽しくかった。人の言葉では言い表すことができないほどに、幸せだった。幸せさ。あれこそ幸せといわずに、何と表現すればいいのだろう。快楽に支配されて、夢に溺れて、体が隙間なく埋め尽くせられていって…。壊れてしまった玩具が元に戻っていくような感覚…。あぁ、本当に気持ちよかった。あの快楽にもう一度支配されるならば、今ここであんた等を殺してしまいたいよ。
  ふ…ハハハハっ…、ハハハっ。冗談だよ、冗談。いくら俺でも、ここであんた等を殺し尽くせるとは思わないよ。そう殺したくても、ここでは殺せないよ。だから睨むなよ。ここでは殺せないから、我慢すると言っているんだ。
  話を続けろ?分かったよ。その前に煙草をくれ。あぁ、あとお茶も入れてくれ。お茶は冷たいお茶でな。煙草は駄目?あぁ、そうだったな。ここでは煙草は吸えないのだったな。
厳しいことだ。
  三人目は…―(ここから、260人の被害者一人一人の話に入る。実に正確にその様子を語り、またその被害者全員に対して、人が家畜に抱くようなある種の愛情を抱いていた)


  …最後に殺したのは、名も知らない男だった。携帯電話の出会い系サイトで知り合い、ホテルに誘った。
  簡単だったよ。誘いだすのは。今の人間は快楽に弱く、原始の欲望には忠実なのだから。ここまで言わせなくても、出会い系サイトと聞いただけで大体の理由を察することができるだろう?私僕、私僕、私僕、私僕…。そう、この言葉こそが相応しい人の世だ。
  思えば、心のどこかで油断があったのかもしれない。それとも、神の力による偶然だろうか。
  あの男をホテルまで上手く呼び出して、いつものように上手く(、、、)殺そうとしたのだ。途中までは、上手くいっていたよ。あの男がシャワーを浴びている時に、後ろから殺そうとした。
  なのに、信じられるかい?そこに、あの男の妻が突然乱入してきたのさ。どうやらあの女は、俺を亭主の不倫相手と勘違いしたらしい。俺の包丁は見付かるし、警察には捕まるはで最悪な目にあったな。
   そして、ここにいるというわけだ。まるで茶番だ。俺もまた、失敗した殺人者として本に書かれるのかもしれない。
  失敗した殺人者…、アハハハァ…、俺は決してそうはならないと思っていたのに、結局は捕まってしまった。
きっと世間は俺に嫌悪と哀れみと、安っぽい憧れを抱くことだろう。もしかしたら模倣犯という芸のないことをする連中が出てくるかもしれない。
犯罪者なんて、これほど不幸な人種はいないのにな。芸術家のように理想の世界を築き続けることをしないのに、地獄の業火に焼かれ、息もできないほどの夢と欲望に囚われて、壊されていくのだから。それは幸福な遊戯のようで、地獄の業火に身を投じる一種の自殺行為なのに。
憧れるのならば、それは幸せな人間である証明だ。俺は人生で一回たりとも、殺人者に憧れたことはなかったよ。人の死を愛することはできても、人の命を奪うことには憧れは抱かなかった。本当さ。理論としては、矛盾しているがね。俺は人を殺したいと憧れを抱けるほどに、幸福な余裕を持ったことがないのだから。

「人を殺したことを、本当は後悔しているのか?」
取調室。
刑事は女に、疲れを滲ませた声で問う。
  一体何時間、刑事と女はこの部屋で同じ空気を共有したことだろう。
  殺人を犯した女と、殺人を摘発する男。
  ただ正面から向かいあった話を聞き、話をした二人はある種の独特の空気が流れていた。
「刑事さん」
「何だ?」
「人は壊れて生まれてきても、どこかで直すことができたのだろうか?」
「壊れて生まれてきても、それをどこかで直すのが人なんだよ」
「…」
「茶、飲めよ。何時間も話して、疲れただろう?」
「あぁ」
女は、茶を口に含む。
  二人は、何も言わなかった。もう、何を言っていいのか思いつかなかったからかもしれない。
  どこかで賛美歌が聞こえる。
  園児達がはしゃぐ声が聞こえる。
  誰かが誰かと会話している声が聞こえる。
「警部、容疑者の取調べが終わったとの…」
婦警が女を迎えに来た。
「あぁ、連れて行け」
刑事の言葉に従い、婦警は女を連れていこうとする。
  ドアに差し掛かった時、「おい」と刑事は女を呼び止める。
「本当に、後悔はしていないのか?」
その問いに、女は、ふっ、と笑んだ。
  そして取調室の窓から入る日が、女の体を包むのだった。
                      


?????????????????????????????????????????????????? おしまい

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