ノベルる

君と見た空

クロトキ作
君と見た空








「遠いね」

「うん、もう遠すぎる」

「近づいてきたね」

「……そうかな」

「そうだよ。あ、でもまた遠くなった」

「うん、遠い」


白く、胸の辺りまでしかない無意味なフェンスに肘をかけて、二人は並んでいる。
一人は僕。倉木 花。
花なんて女のような名前の僕だけれど、そんなことはどうでもいい。
とりたてて目立つような容姿でもなく、成績も中くらいの僕の名前なのだから。

その僕の横で今伸びをしたのがクラスメイトで幼馴染の梨堂 麻南。
少女マンガでよくある幼馴染の定番で、僕と麻南の家は隣で、幼稚園から今――高校までずっと一緒だった。
僕よりも飛びぬけて成績がいい彼女が僕と同じ高校なんて未だに信じられなかったけれど麻南はこの高校で満足しているようだから、
それはそれでいいのかもしれない。

ちなみに補足すると僕は少女マンガを読む趣味はない。
以前麻南の家に行った時に、ほんの好奇心でページをめくってみただけである。
次の瞬間、僕の目は半眼になった。

「こんなのありえないと思うけど」

ぺらり、とそのページを麻南に見せる。ベッドに転がってなにか考えていた麻南は
僕に気がついてそのページを見た。

「うーん。。でも、少女マンガってそんなもんだよ?」

それ以来、僕は少女マンガなるものに一切触れていない。

だから誤解はしないで欲しい。


制服姿の僕と麻南は屋上で鉢合わせした。

まず、僕が屋上に来た理由を簡潔に説明しよう。
変な上級生になぜか目を付けられ(目を付ける部分なんて何一つないのに)いちゃもんというものを
イヤというほどつけられ、更にそれに便乗して理不尽に金を請求され、挙句の果てには殴られた。
はじめてではない。以前からエスカレートしていった結果がこれだ。
むしろ僕は殴られるよりは殴るほうが好きだったけど、そのときは我慢した。
彼らの後ろに麻南がいたから。

クラスメイトの原伊の後ろに立って屋上に来たのをみると、どうやら告白されるすこし手前だったようだ。
だが、屋上には僕と先輩たちがいた。

原伊は悲鳴をあげて、麻南を押しのけて逃げていってしまった。
しかたないだろう。原伊は金持ち。こんないいシーン(僕が倒れていて、それを先輩が踏みつけていた)なんて
ドラマでしか見たことがなかっただろうし。
あわれ、原伊は麻南にものの数秒の出来事で決定的に嫌われてしまった。
あんなにムッとした表情の麻南は久しぶりだった。

それにしても麻南はモテる部類に入る。
頭はよく、女子との付き合いも悪くないし、冗談を言っては笑っている。
それに、なにより可愛い、らしい。
僕にはそうは見えないが、他の連中は口をそろえて言う。
梨堂麻南の彼氏になりたい、と。

そんなことは無意味だと僕は思う。
何故なら、麻南は


「あ、飛行機雲だ」

「飛行機雲だね」

「ホントにもう遠くなっちゃったね。飛行機」

「遠いね。って、麻南」

「ん、なにかな?花ちゃん」

花ちゃんはやめろ。

「あいつら、どうするの?」

後ろの掃除用ロッカーからはみ出ている先輩の頭を言外に示しながら僕は言った。
興味もなさそうに麻南は間延びした声をだしながら、ちらりと視線を向けて、また空へと戻す。
というか、本当にグロいオブジェかなにかのようになっている先輩が可哀相でしょうがない。
たしかに心のどこかで僕を殴ったんだからいい気味だ、と感じたのは確かなことだけれど
なにもあそこまで叩き潰すこともないかな、とも思う。

「まあ、いいんじゃないかな」

「……麻南がそういうなら、いい、けど」

「よくできました☆花ちゃん」

だからやめろって。
と、言う代わりに無言の訴えをしてみるが聞き入れてもらえなかった。無視された。

「さっき一緒にいたのって、原伊だよね」

「そうだね、原伊 泰志。名簿は13番の金持ちボンバーだね」

「金持ちボンバーってなんだよ。……まあ、いいや。なんでいっしょにいたの?」

分かっていながら質問をする自分がいやになる。
そうでもしないと麻南がさっさと帰宅してしまいそうな焦燥感に駆られていたからだ。
すこしでも長く一緒にいたいわけでは、ない。と自分に言い聞かせた。

「んー、なにか、話があるっぽかったけど」

ほら、ビンゴ。

「でも明日会ったら私を突き飛ばした仕返しを発動する予定です。サー」

「麻南の仕返しは洒落になったためしがないから、ほどほどにね」

「もちろんですよ」

にぃ、と端正な顔の一部を歪ませた。
小学校3年生のころの麻南がそこにいるような気がしたが、そんなことは実際にはありえなかったので
頭を数度揺さぶり、振り払う。馬鹿な考えだ。

麻南は小学校の5年生のとき決定的に壊れた。壊された。





++

家に何者かに放火をされ、精神が不安定になっているときに両親を強盗に惨殺された。
離婚の話だとか、喧嘩すらほとんどなかった平和な家庭は強制的になくなった。
麻南の”世界”は、そのとき一回崩壊して、滅びたんだ。
それから1年間麻南は学校に来なかった。半壊した自宅でうずくまったり、
公園で呆然と虚ろな目でベンチに座ったり、それはもういままでの明るい麻南とは
比べ物にならない生活が続いたらしい。

塾の帰りにそんな麻南を見つけた僕はわが目を疑った。

学校には、海外に留学するから学校にこられない。
そういうふうに伝えられていたのに。アメリカにいるはずなのに。
ベンチで廃人同様に、綺麗だった髪は影もない、ぼさぼさの頭の少女は、紛れもない。
見間違えるはずもない、隣に住んでいたあの少女だったのだ。


「麻南……」

呼びかけの声に、自信はない。
それほど、麻南は変わり果てていた。
数十秒待ってから、哀れなまでに痩せた顔をこちらにゆっくりと、むける。

「……――花……、だ……っけ。あ、あは、はははは、は」

歪んだ笑いを、彼女は僕へ向けた。小学校5年生のものではない、狂ったような表情に、僕はどきりとした。

「そうだよ。 ねえ、麻南、どうしてこんなところに?」

「こんな、ところ?……ここは、私の家だよ。お父さんとお母さん、まだ帰ってこないんだよ。
遅いなあ、。でも、いいんだ。一人でも、」

一人でもいいんだ、という言葉は、小4のあたりからの麻南の口癖だ。
ひっこみ事案なところがあった麻南は、そう自分に必死に言い聞かせて生きていた。

「公園だよ、ここは」

「…………嘘、だ」

言っていいことだったのか、悪かったことなのか、今の僕にも、あのときの僕にもわからないけど、
その言葉で、麻南は狂ったように泣き叫んだ。

「う………うそ、……そんなの嘘だよ!死んでない!私は、まだ生きてる!ここにいる!
……だから、お母さんだって、いるんだよ!帰ってくる!私のところに!お父さんも、死ぬわけがない!
死なない!死ぬって、なに!?イヤだ、花、嫌!嫌だぁ!!!!」

全く手加減もせずに僕の胸板を殴る麻南と、状況の理解に脳を突き動かす僕。
黙って殴られる僕はどれほど滑稽に見えただろう。

それから、僕は麻南を落ち着かせて事情の説明を頼んだ。
説明をし終えた麻南は僕に抱きついて泣いた。声を押し殺して、感情をすべて消し去りたいように、泣いたんだ。

その後のことは、僕もきちんと覚えていない。

ただ覚えているのは、その次の日から麻南が学校へやってきたこと。
強盗だというのにニュースなどで全く報道されず、学校内で麻南の世界が一度崩壊したことを知るのは僕一人きりだったこと。

そして、それから麻南は一度も泣かなくなったこと。
強盗殺人の犯人は、まだ見つかっていないということ。





++


「花ちゃん?」

「だから、それやめろ。」


キョトン、と顔を覗きこんできた麻南につっこみ、僕は今ひとたび麻南を見た。

あのころ、僕は麻南のことを元気付けるために、普段は無口な口を一生懸命に動かした。
その成果は出ているのだろうか。
壊れてしまった麻南は、今生きているのだろうか。
ここにいるのは、本当の麻南なのだろうか。


僕は怖い。


麻南がもう一度崩壊してしまうことも、クラスの誰かに麻南が一度壊されたことを知られるのも。
親を殺されてしまい、家を失った彼女が、どんなふうにしていたのかを知られたくない。
知っているのは、僕ひとりで十分だ。
そして、崩壊した世界を再構築していいのも、僕一人で十分なんだ。


++


麻南は体を鍛えるようになった。
ナントカっていう流派の格闘技を、自分で稼いだバイト代から出して習い始めた。
始めのころは僕と組み手をしていたが、男と女の力の差で僕が勝っていた。圧勝だった。
一度壊れ、麻南が栄養失調だったからかもしれない。

しかし、それは本当に始めのころだけだ。

今は、――……後ろのロッカーの中のうめき声が物語っている通りです。


「どったの?花」

「いや――……」

あのころのことを考えていた、なんていえるわけがない。
なにしろ、麻南はあのころのことを殆ど記憶していないからだ。

変な嘘をついたと思われて嫌われるのは僕の本意じゃない。


「強くなったな、と思ってさ」

「あたぼーよ。師匠も、そう褒めてくれるもん」

男女の力の壁すら超えるなんて。
ほんとに、昔からだけれど麻南は無茶苦茶だ。



おかげで、僕みたいな無口かつ生真面目なつまらない人間とも付き合ってくれるんだろうけど。
あ、付き合うっていうのは、幼馴染として、のね。

「師匠、か。逢ってみたい、かも」

「ふふふ、師匠に逢うなんて100年早いわよ。花のくせに」

「ジャイ○ンか。お前は」





こうして君と見た空が、壊れてしまわないように。
この空の色だけは、忘れて欲しくない。


僕は、麻南の幼馴染だ。
弱くて、卑怯者で、嘘つきで、偽善者な僕だけど、これだけは言える。




僕は、麻南を守りたい。




++

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