ミミの秘密 |
むあ作 |
「ミミ。じゃ、明日は絶対にクリモア山脈を越えて、鉱山のモンスターをぶったおしにいこうぜ」とクロードは、夕日を鎧に反射させながら、ミミに言った。「溶岩の首輪をゲットするんだ」 ミミは、ようやくサランの泉までたどりつくと、ほっとしたように、 「ええ。がんばる」と白いワンピースの、小柄な体をとびあがらせて笑った。「今日はありがとう」 「ミミも、前とはえらいかわったよな」とクロードは泉の水をのみながら笑った。「初めてここで会ったときは、一人で心細そうにしていたのに」 「クロードがいてくれたから」とミミは言った。「おかげで、闇黒のボスもしつこく付きまとってこなくなったし」 「今度、闇黒のスケベ野郎がミミにちょっかい出してきたら、必ずここから追い出してやる。……あ、そうだ」と、クロードはちょっと赤い顔をして言った。「前から言おうと思ってたんだけど、……ミミはスミルンダ教会、しってるよね?」 「うん」とミミはうなずいた。街の教会で、結婚式のおこなわれるとこだ。 「でさ……」と彼は、頭をかきながら口ごもった。 「ええ……」とミミも頬を染めた。 「……ま、いいや」 クロードはいきなり走り出し、 「じゃ、また明日なー」と手をあげ、鎧をかしゃかしゃときしませながら、スミルンダの町へと走っていった。 ミミは、小さな手をふり、彼の姿が消えるまで見送っていた。 そして、ゲームからログアウトした。 電源をきるとモニター画面は暗くなり、パジャマ姿の、痩せた自分がうつしだされた。 「光郎君、点滴の時間よ」と看護婦の声が聞こえた。「ゲームばかりやってると、目がわるくなるわよ。それ、今人気の『ミッドナイト・オウガ』っていうオンラインゲーム?」 光郎は、ベッドに横たわりながら、 「わかってるよ、うるさいなー」と、細く青白い腕をまくった。 ひと月前、十七になったばかりの春、光郎は心臓の手術をした。それからは安静の毎日だったが、退屈しのぎにはじめたオンラインゲームが、今は唯一の楽しみだった。寝る時間も食事も忘れ、いつも看護婦から注意された。けれど光郎は、どんな点滴や見舞いよりも、このゲームが元気づけてくれるのを感じた。ゲームというよりは、おそらくクロードが。 光郎は生まれつき体が弱く、友達もいなかった。親や医者とも、心からうちとけて話したこともない。だけど、クロードはちがった。ゲーム中で知り合った少年で、自分と同じ十七でもあり、話も合った。正義感が強く、ゲーム中で初心者をいじめてばかりいる闇黒達にも、一人で対抗していた。リアルでは陸上の選手らしく、体育会系の陽気さをもっていた。光郎は、彼になら何でも話せた。自分が入院中であることも、高校の授業が遅れている不安も、将来一人前の職につけるのかという心配も。クロードは退屈な顔もせず、何時間でも話をきいてくれた。 ただ、ひとつだけ光郎はうしろめたかった。というのは、自分がミミという少女を演じていることだ。 「なんで、女のキャラにしてしまったのかな……」と光郎は悔やんだ。「クロードは、僕をすっかり女だと思ってる。だから、敵からかばってくれたり、珍しいアイテムを毎日贈ってくれるんだろうな……」 女のキャラにしたのは、現実の自分が嫌いで、男らしさなんてものに縁もなければ、自信ももてなかったからだ。弱い者を守る、正義のために身を捨てる、そんなカッコよさなんて自分にはカケラもない。思いっきりの声さえ出したこともない。俺とかお前とか、そんな言葉もつかったことはない。憧れるだけ、空しい。親もきっと、何も期待していないだろう。だったら、いっそのこと臆病な少女になってしまえばいい。たぶんそんな気持ちからだったと思う。 できるならこのままの、クロードとミミでいたかった。嘘をつき続けるのは苦痛だけど、それ以上にクロードと毎晩過ごせる幸せのほうが大きかった。しかし、さっきクロードは教会の話をしていた。結婚を考えているのかもしれない。これ以上嘘をつきつづけられるだろうか。それに、そんなことをしたらクロードを侮辱することにはならないだろうか。 「明日、うちあけようか……」と光郎は自信なさそうに、ため息をついた。「いっそのこと、このキャラを消してしまおうかな」 翌晩、光郎はゲームにログオンすると、町はずれの、サランの泉へいった。いつもの待ち合わせ場所だ。西の山に傾いた夕日が、水面に反射して、自分の白いワンピースをほんのりと染めていた。地面も壁も茜色だった。 しかし顔は白かった。真実を打ち明けるつもりだったのに、ここにきたら自信がなくなってきた。もしクロードが怒って帰ってしまったら。そう考えると、さびしすぎて、明日からどうやって過ごせばいいのか分からない。 「やっぱり、このまま黙っていようかな……」 あまりにも嘘と本当が離れすぎてしまい、いまさら打ち明けても、遅すぎる気がしてならなかった。 一時間待ったが、誰も来なかった。 「クロードが約束を忘れるなんて……」 さらに時間がたち、日も沈みかけていた。ミミは不安になってきた。 と、そのとき、背後から声がきこえた。 「ミミじゃないか。こんなとこでなにしとる?」 ふりかえると、近くの川でいつも釣りをしているララ爺だった。 「クロードをまってるの。彼をみなかった?」とミミは聞いた。 「見たなんてもんじゃない。一人で、闇黒のアジトへのりこんでいったわい」 「なんですって……」とミミはびっくりした。 「二時間くらい前、ここで闇黒たちが、無差別に人を殺していったんだ。装備も金も盗んでいった」 「ひどい……」 「その後、クロードがこの泉にきたんだが、その有様をみて、『闇黒を追い出してやる』と、すごい形相でやつらのアジトへ走っていったのさ」 「一人で……」ミミは信じられなかった。 「止める暇もなかった……」 「ララさん、どうしたらいいの……」とミミは泣きそうな顔をした。 老人はうなだれるように、 「すまんのぉ。わしのようなオイボレには、何もできん……」 ミミは途方にくれた顔で、黙っていた。自分が行ったところで何もできやしない。クロードの足手まといになるだけだ。といって、助けてくれる人も見当たらない。誰でも、闇黒に逆らうのを恐れているからだ。 「……とにかく、私もいってみます」とミミは、真っ青な顔で走り出した。 アジトの洞窟につくと、ミミは一目散に奥へはしっていった。こんなに走ったことは今までになく、息も切れ、動悸が洞窟内にこだまするようだった。腸のような長い洞窟をどれほど走ったろう。やがて、クレーターのような広大な空間が前方にみえてきた。 すると、遠くのほうから、人の声が聞こえた。 「クロードの声だわ……」ミミは、はっとして、岩影にかくれた。 空洞の中央には、クロードが立っていた。そして、彼をかこむように十人ほどの闇黒の子分達が立っていた。少し離れた所には、ひときわ大きな、鎖カタビラ姿の男が立っていた。以前からミミに付きまとってくるボスに違いなかった。 ミミは恐怖と疲労から、岩にすがりついた。 クロードの声があたりにこだました。 「闇黒! お前ら、通行人を皆殺しにしたそうだが、もう我慢ならない。今夜こそ、落とし前をつけてもらう」 そして、クロードは剣をぬき、高々とかかげ、叫んだ。 「必殺緑黄崇高剣!」 すると、クロードの剣からは無数の葉が舞いはじめ、それが鋭い刃物のように、子分達に流れていった。群がっていた子分たちは、顔や胸に葉をうけ、バタバタと倒れていった。 子分たちの大半が倒れた。残るは、ボスと、二人の子分だけになった。 ミミは、はらはらしながら眺めていた。 クロードは剣をにぎりしめ、ボスにむかって叫んだ。 「さぁ、これで貴様も最期だ!……真殺仁徳交流剣をうけてみよ!」 ミミは、それを聞いて、祈るような気持ちだった。クロードだけが使える大技で、その名を聞いたら、誰もが逃げる必殺剣だった。勝てるかもしれない、そう思った。 ところが、闇黒のボスは逃げるどころか、にやりと笑った。そして落ち着いた声で言った。 「お遊びはここまでだ。私は、君の秘密を知ってるんだよ、クロード君」 クロードはボスをにらみつけ、 「秘密だと? 負け惜しみはやめろ。いくぞ、真殺仁徳……」と剣を、再び高々とかかげた。 ボスはほくそ笑みながら、 「君の本当の正体を、あの可愛らしいミミに教えてもいいのかな」 「俺の正体だと……」とクロードは言った。 「私が、プレイヤーの個人情報を盗むのが朝飯前だってことは知っているだろう。そこで、君のアカウントも調べさせてもらった。そうしたら、なんとまぁ……」 「……な、なんだ」とクロードの顔に影がさした。 「君が女だと分かった。しかも中学生だとね」 クロードは固まったように棒立ちになった。 ミミも背中が冷たくなった。心臓が高鳴った。 そのとき、ボスは何か合図をした。と、子分数人がいきなりクロードの横腹に剣をたたきこんだ。それはクリティカルヒットになり、クロードの体は宙にとんだ。 「……くぅ」とクロードは顔をしかめた。みるみる体力ゲージは黄色まで下がった。 ボスはせせら笑い、 「女の子をだますなんて、君もひどいやつだな。私から真実を教えといてやるさ。そして、彼女が付き合うのは、君よりも、私のほうが適格だということもね」 「……や、やめて」とクロードは目に涙をためていった。 「今度は泣き落としか?」とボスは笑った。 クロードは剣を地面におとし、すがるように、 「……ミミにだけは言わないで。あたしの、たった一人の友達なの。あたしが女だって気づいたら、どっかへいっちゃうかもしれない……」 「ちょうどいい」とボスは高らかに笑い、クロードの背中をけった。「あとは私にまかせたまえ。かわいがってやるさ」 ミミはどうしていいかわからなかった。ボスと戦う力などない。出ていったところで、敵の思うつぼだ。肩が小刻みにふるえていた。 ボスと数人の子分は、再びクロードの肩に剣をふりおとした。 ミミは岩陰からとびださずにはいられなかった。そして、ボスとクロードとの間に飛び込んでいった。 「クロード!」とミミは、彼をかばった。 「ミミ……」とクロードは泣きはらした目でつぶやいた。 「いま回復するわ。……ヒーリング!」とミミはおぼえたばかりの魔法をとなえた。詠唱が、何時間にも感じられた。 あたりには細かい光の粒子がふりそそぎ、クロードの体力ゲージが少しだけ回復した。 「……ミミ、聞いてたのね」 「……うん」とミミはうなずいた。 「あたし、だますつもりじゃなかった。……だけど、ミミと一緒にいるうちに、あなたがいない毎日なんて考えられなくなって。……だから、ずっと嘘ばかりいってた。陸上部なんて嘘。あたしが男のふりをしていれば、あなたも一緒にいてくれるって思ったから。あたし、友達づきあいがへたで、一人ぼっちで……」 「……もう何もいわないでったら」とミミはクロードをだきしめた。 「ごめんなさい……」 ボスが鼻で笑いながら、 「さぁ、女同士でいちゃついてても、仕方ないだろう。それより、お前は、私の女になるんだ」と、無理にミミの腕をつかんだ。 「やめて……」とミミは抵抗した。 「わるいようにはしない。前から、君が好きだったんだ」とボスは、ミミを抱きすくめ、首に口をおしつけてきた。 ミミは、もうログアウトしてしまおうかとおもった。電源をぬいてしまえばすべては消える。また新しいキャラをつくりなおせばいい。闇黒にさからうのは怖い。後々まで何をされるか分からない。 ボスは胸元に手をいれてこようとした。ミミは、あらがいながらも、クロードをふりかえった。クロードはひざまづいたまま、悲しそうに地面をみていた。もう、力は残っていないようだった。自分がどうにかしなくては、誰もしてくれない。誰も頼れない。誰も助からない。そんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。 同時に、これまでクロードが自分のためにしてくれた、数々のことを思い出さずにはいられなかった。泉で何時間も話を聞いてくれたこと。遠くから花をつんできてくれたこと。 突然ミミの顔つきがかわった。そして、首にへばりついているボスの顔をヘッドロックして、ひざげりをくらわした。そして、つんざくような声で怒鳴った。 「てめー、あつっくるしいんだよ!」 ボスは、突然のミミの変化におどろき、つかんでいた腕を離した。 ミミはさらに怒鳴った。 「クロードをいじめやがって、ただじゃおかない!」 「……な、なんなんだ、お前は」と闇黒はびっくりした。 クロードも呆然とした顔で、ミミをみた。 ミミは、クロードをかばうように、両手でしっかりとささえながらいった。 「いい年して、びくついてんじゃねぇよ。大人が大勢そろいもそろって、一人の女をいじめたりして」 「お、お前、いったい……」ボスは青ざめた。 「俺のアカウントを調べなかったのは失敗だったな。男も男。男子高の、光郎っていうんだ。逃げも隠れもしねぇよ。クロードは俺が守る。彼女は俺の恋人だ。婚約者だ。あとで教会へいくつもりなんだ」 ボスはかすれた声で、 「二人でだましあってたとは……」 ミミは目を赤くして、唇をかみ、 「……ざけんじゃねぇ。だましてたんじゃない。ただ、嘘と本当が、みえなくなっちまうほど離れてただけだ……」 「こうなったら、二人ともぶっ殺してやる」と子分たちに合図した。 「望むところだ!」 ミミは、持っている武器で、抵抗した。けれど、小さな杖だけなので、ほんのちょっとのダメージしか与えられなかった。ところが敵の一発は、ミミのゲージの半分以上けずった。殴られては自分にヒーリング、それのくりかえしだった。 ミミは焦った。このままだと、ジリ貧だ。魔力もつきかけていた。もうあれしかない、と思った。「惨劇の祝福」だ。あの技ならば、勝てるかもしれない。けれど、あれをつかえば、敵を葬り味方を救うが、自分は死ぬ。だから、今まで一度もつかったことはなかった。 ミミは、目をとじた。ちょっとだけクロードをみたが、再び目をとじ、決心したように両手を十字に組み、さけんだ。 「惨劇の……」 半分ほど呪文をとなえたときだった、背後から大勢の足音が響いてきた。 ミミがふりかえると、ララ爺を先頭にした大勢の人たちが、それぞれに剣や鎌をふりあげて、走ってくるのが見えた。数えきれない人数だった。空洞のずっと向こうまで一杯だった。きっとララが、闇黒の被害を受けた人を、総動員してきたのだ。 「ララさん……」とミミは言った。 「ミミ、クロード、大丈夫か? おそくなって、すまん」とララ爺は言った。「皆の衆を集めてきたぞい」 ララはそういうと、人々を立ち止まらせ、ボスに向かって言った。 「闇黒さん。もう年貢のおさめどきじゃ。かんねんせい」 「なにを、おいぼれ」 「わしらは、もう知っとるんじゃ。あんたの正体をのう。さっき判明したのよ」 「なんだと?」 「あんたは、リアルでは警察の署長らしいのぉ。警察官のくせに、この世界では、他人の装備をぬすんだり、アカウントの個人情報をぬきとって、クレジットカードのパスを盗んで勝手に金をひきだしたりしとる」 それを聞いたボスは、凍りついたように黙った。 ミミはびっくりしたように、ボスを見た。周囲はしんと静かになった。 ボスはがっくりとひざまづき、おがむように言った。 「……た、たのみます。それだけは誰にもいわないでください。私には妻も子供もいるんです。住宅ローンも十年残っているんです。来月には勤務優秀で表彰される予定なんです……」 「この警察野郎、ゆるさん」とみんなが口ぐちにさけんだ。 闇黒のボスは、あとずさりをはじめた。そして、ふらふらと壁にぶつかりながら、遠くへ走り去っていった。子分達も、あとを追うように消えていった。 「追えーーー!」とララ爺はみんなに号令を発した。 みんなは武器をかかげ、いっせいに闇黒ボスを追いかけていった。汽車がトンネルを通過するときのような轟音がわきあがった。それは長いこと続いた。うめきのような、泣き声のような、阿鼻叫喚がしばらく響いていた。 しかし、それもやがて小さくなり、歌のエンディングのように、静かになっていった。 空洞には二人だけが、ぽつんと残された。 ミミは、黙って立ちすくんでいた。腕や足がふるえていた。頬も唇も、のりでかたまったようだった。 「ミミ」とクロードが心配そうに言った。 ミミはしばらく黙っていたが、目には涙がたまっていた。そして独り言のように、 「……いっけねー、なんか、体がふるえてるよ。……俺さ、今まで、あんな大声だしたことなかったんだ」と顔を何度も手でこすり、腕をさすった。 クロードはうなずいた。 ミミは、クロードの手をとって、 「……俺、ちょっとばかし自信をもてるかもしれない。いまはじめて、生身の自分と想像の自分がかさなったみたいなんだ。なんか、俺には、すごいことが起こったみたいなんだよ。……もし君がいなかったら、嘘のまんまでもよかった。電源ぬいちまえばよかった。でも、君にふれるためには、それだけじゃ足りないっていうことがわかったんだ。それが、嬉しいんだよ……」 「うん……」とクロードはミミの手をにぎりかえした。 ミミはクロードを抱きかかえ、立ち上がった。 「さぁ、スミルンダ教会へいこう。そして、もっと、君のことをしりたい。……教会だけじゃない。本当と嘘を、もっともっと近づけたいんだ」 白いワンピースの小さな少女が、鎧姿の青年をかかえていた。その様子は、横に長い不安定な十字架にもみえたが、また、いつか大樹にまで育つために、陽をいっぱいにあびようと広がった、一つの広葉植物の芽のようにも見えた。 |