ノベルる

選択肢

相原知佳作
学生時代はあっという間だったね
 
   なんて、いう人は沢山いる

   いろいろあったけど、いい思い出だったね

   なんて、いう人は沢山いる

   少なくとも、私にはそう思えないけど


   「選択肢」前編

  
   教室の後ろの窓側の席から見える、空に浮かぶ大量の積乱雲。
   広い空間いっぱいに群れる彼らは、かぜに流れて進み静かに街を見下ろす。
   相沢 唯は飽きもせず毎日、窓から通り過ぎる旅人を見上げていた。
   「いいな。私も連れて行ってよ」
   話しかけても、独り言として届かず消える。
   正方形の板6枚で出来た、無機質な空間での日常にユイはもう慣れきっていた。
   教室と言う、30あまりの人間が収容されているこの場所で起きる事に。

   いじめなんて、よくあることだ
   と、ユイはいつでも自分に言い聞かせてきた事だった。
   人間は元々、いじめる面といじめられる面を併せ持つ生物であり、
   これだけの志も、育った環境も、夢も、親も違った人間が接していては
   否を無く、ズレと言うものは生じてくる。
   群れでの行動はどうしても、強いほうへ引き寄せられるものだ。
   ユイはいつのまにか、クラスで孤立した存在になり、見下す奴らの
   標的となってしまった。
   彼女が特別何をしたわけではない。
   大半の女子が、入学式、あるいは、クラス替えの翌日にはすでに、
   グループが出来ている様に、ユイが対象になるのも自然の流れであった。
   数多い、いじめの大半は大層な理由も何も無い。 
   ただ、弱い立場の人間を見ていると、妙な安心感が心の中で芽生えるのだろうか、
   ユイは数少ない無権力者として、クラスに必要とされてた。


   靴隠し
   教科書の落書き
   椅子に接着剤
   給食に砂利入れ  エトセトラ  
  
   お決まりのいじめ像。
   このクラスで実際に起きていること。
   この場面に出くわす度に、誰にも言えないような空しさがユイを支配する。
   楽しくも無い、希望も無いこの狭く荒んだ世界にあと2年3ヶ月、
   住まわされる事を思うと気が遠くなる思いだった。
   初めのうちは勿論ユイは辛かった。頭の中が真っ白で、
   自分を取り残してグルグルまわる。現実と異空間の渾沌。
   眼から落ちる涙だけが、冷静に事実を受け止める。
  
   そんな世界だった。

   厭らしい灰色の雲が澄んだ青空を蔽っていた。
   そんな日の出来事だった。
   朝早く登校してくるユイは、珍しくクラスに多くの生徒で満たされるのを
   不思議に思いつつ、教室に入った。
   境界線が引かれた思いだ。
   自分の机の上には、凛と咲く、純白で美しい菊の花が一輪。
   その美しさに見とれる事も無く、ユイは言った。
   「何、この花」
   静まり返る不気味な教室の中で不釣合いな元気な声が響く。
   「相沢さんにプレゼントだよぉ」
   そういわれ、ユイは菊の花を凝視した。
   「どう見ても、葬式の花だよね」
   誰も返事をしてこなかった。
   「ねぇ」
   ユイは怒声にも似た声を張り上げた。
   「死人が口利いてんじゃねーよ」 
   声がした方向に思いっきり振り返ってみた。
   そこに広がるのは、いつもどうり楽しく会話する生徒達。
   ユイは幽霊のような扱いだった。
   そこにいていない者。
   何も知らず自己主張する花の前で立ち尽くすしかなかった。


私はわからず立ち止まる

   どちらに行けばいいですか

   と問うてみて

   風も無ければ流されもせず

   追いかけて来る者もいなければ逃げもせず

   誰かがいなければ

   私も居ないんだ


   「選択肢」後編


   真っ暗な夜空でも、休むことなく雲は動く。
   月の光に照らされて、雲の端が鈍く輝く。
   それをユイは無気力に見上げた。

   数時間前には、楽しそうな子供であふれていた公園。
   今はユイ独りしかいない。
   今にも動き出しそうな遊具に、臆することなく小さめのブランコに腰掛けた。
  
   「オメー独りで何してんだよ」
  
   学校に行かなくなってから一週間も経っていた。
   一日も欠かすことなく夜の公園で空ばかり見ているユイに男は話しかけた。
  
   「何ですか、お金なら持ってませんよ」
  
   男の風貌は一見不良そのものだった。
   落ち着きのない痛みきった長めの金髪。
   考え無しのピアスの多さは無駄な迫力を持っていた。
   クラスの男子で、一人は制服でしているような、はるかにサイズがデカイジーンズ。
   ミスマッチなビーチサンダルを引きずり、ユイに近づいた。
   勿論、ユイと男は初対面。話しかけられる理由がかつ上げくらいしか見当たらなかった。
  
   「誰が中坊の金盗るかよ」
  
   心なしか一安心した。それでも、ユイの顔は引きつったままだ。
   「夜こんなトコきてガッコーさぼりかよ」
   男は無遠慮に、細いブランコの柵に座った。
   「行かなきゃもったいねぇよ」
   未成年にも見える男は慣れた手つきで煙草を口にくわえる。
   先端から伸びる白煙が、空の黒に負けて空間にのまれていった。
   「うるさいな、不良の癖に。カンケーないじゃん」
   ユイの顔には、まるで表情が無かった。
   男は足元の砂利をどかしながら言った。
   「カンケーなくねぇし。オメー見てんと辛気臭ぇんだよ」
   うぜぇんだよ、と、男は器用に足で山を作りながらユイを見る。
   「あんたにはわかんないだろーね」
   つま先にある石を踏みつけユイは軽く蹴飛ばした。
   「今まで何かされると、ムショーに悲しくてさ」
   つけたばかりの煙草を男は黙って消した。
   「本当に死にたかったよ」
   ユイの眼には、一つの雲も無い夜空しか映らなかった。
   「それでも、日が経つにつれて何も感じなくなるんだよね」
   自然に乾いた笑みがこぼれる。
   「何かされることでしか、教室にいるって実感できなくて」
   「じゃぁ、いじめはずっと続いてもいいのかよ」
   自身の沈黙を男は破った。
   「いじめられるってことは、まだみんなの意識の中にいるってことじゃない」
   ユイはブランコを降り、男の隣に座った。
   「この世で一番辛い事って知ってる」
   ため息混じりに男に問うた。
   「中坊で何がわかったんだよ」
   先の見えない真っ暗な空を見上げて男は答える。
   「自分の存在をまるっきり無いものだと扱われる事」
   冷たくなってきた風に背を向けて言った。
   「いじめから発展した孤独なんて、最悪だよ。正真正銘の無だから。
    生きてる心地なんて全然しないし、家に帰っても誰もいない。私の居場所はないんだよ」
   二人の時は簡単にとまる。
   クラスでの時間はユイ独りだけしかとまらないと言うのに。
   リアルな世界でも日常は変わりなく過ぎる。
   「俺もそうだ」
   ユイは男を見上げた。
   「いじめじゃなかったけど、やっぱ浮いてた。
   センコーも親もムカつくし。友達と馬鹿ばっかりやってたら、いつの間にかガッコー辞めてた」
   新しい煙草を出し、火をつける。肺に達する様に吸い上げ、思い出と共に吐き出した。
   「結局、俺はムカつく状況から逃げ出したんだ。
    ま、それが逃げだと気づいたのは半年後だったけど」
   二回目の吸い込みは浅かった。
   ユイの眼を見ながら悔いた過去を遠めに見つめる。
   「オメーはガッコーやめんなよ」
   片手に吸いかけの煙草を預け、ユイをまっすぐ見返し、
   荒れた唇から歯を覗かせ笑った。ユイは笑いを堪えずに言った。
   「何で不良が説教してんだよ」
   エラソーに、と言いた気なユイに男は言う。
   「うるせぇ。大体その不良に生意気な口きくなんて、オメーすげぇぞ。ある意味」
   確かに、ユイは素直にそう思った。
   男は立ち上がり、目の前の無気力少女を指差し豪語した。
   「オメーの選択肢は3つしかねぇ」
   ユイに何か言う暇を与えず言い切った。
   「ガッコー辞めるか」
   「今までどーり、教室の空気として存在するか」
   「オメーが変わるかだ」
   ユイも立ち上がり、男に一歩近寄った。身長差は約10cm。
   自信満満でいう男を上目使いで眼を合わせた。
   男の顔と一緒に見える、ほんの少しの星が控えめに輝いている。
   息を呑み口を開いた。  
   「中学って義務教育だから辞められないし」
   場都合が悪くなり、男は顔をしかめた。それを無視し続ける。
   「私が変わるってさ、私の存在しかとだよ。どうしろっていうんだよ」
   男は再び、思い切り煙草を吸い込むと、 
   顎をしゃくれさせて空にはき捨てて答えた。
   「私はここに居る。そう叫べ」
   眼を見開き、星の輝きと共に男を眼に映した。
   「オメー自身で、オメーの存在を押し付けてやれよ」
   呆気にとられていたユイは口角を上げた。
   「うぜー奴って思われんじゃん、それ」
   男はハッと鼻で笑い、煙草を地面に踏みつけ言った。
   「存分に思われろよ。空気よりマシなんだろ」
   三本目には火をつけず、ユイに背を向け歩き出す。
   自分の背中にユイの視線を感じながら男は大声で叫んだ。
   「俺はここにいる」
   汚い金髪を揺らして、男は暗闇に消えていった。
   季節はずれの台風は去っていった。
   「何だよ不良がエラソーに」
   無に一本線が入る。ユイは男と逆方向にある、自分の居場所へ
   戻っていった。
  
   木々が囁き 風が唄い 夜空が微笑む
  
   ユイの足取りは軽く、地面を蹴り上げた。



   END

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