ノベルる

ストーカー

むあ作
「窓はしめて。どこから見られているかもわからないし」と悦子はおびえたように、静雄に言った。
「もしそいつが監視しているなら、望むところだ。俺が君の恋人だって見せ付けてやれば、あきらめるかもしれない」と彼は気にせずに窓をあけ、陽気に手をふった。
  七階から見おろすと、暗くなった公園の森がひろがり、夜中だというのに、アブラゼミの声がこえた。
  女子大生の悦子には贅沢なマンションだが、父親はファミリーレストラン・チェーンの経営者で、自宅にはテニスコートまであった。業界ではやり手と評判の父親だが、娘には甘く、一人暮らしを案じてオートロック付きの高級マンションをかりた。部屋の小物にも、エルメスやグッチの、高価なアクセサリーがたくさんあった。
「やっぱり窓はしめて。最近はエスカレートしてきて、怖いの。もう無言電話だけでは飽きたりないみたいで……」
「何かひどいことをされたのかい?」と静雄は聞いた。
  悦子は迷うように、
「昨日の朝早く玄関で音がするので、みたら、ナワトビで首をしめられた猫がつるされていたの……」
「猫……」
「そんなことが平気でできる相手なのよ。だからあなたに危ないことをしてほしくないの」
  静雄は安心させるように、ソファにすわる悦子の隣へいき、
「ありがとう、心配してくれて。……でも、俺はそういう泣き寝入りが一番悪いと思うんだ。ツケあがらすだけだよ。どうせ弱いものいじめしかできない卑怯な奴だから、他人の痛みなど分からないに決っている」
「それはそうでしょうけど……」
「だから、そういうやつは痛い目にあわせて後悔させてやることが、そいつのためでもあるんだ。襲ってくるなら、返り討ちにしてやるくらいでなければ、駄目さ」
  悦子は後悔したように、
「あなたはそういう人だから、返って怖いの。もしもあなたの身に何か起こったらって……。やっぱり言わなければよかった」
「でもさ、これからの日本は、悲しいけど、自分の身は自分でまもらなくてはいけないよ。警察も、学校の先生も、近所の人も、見て見ぬふりしかしない。右の頬を打たれたら左の頬を差し出すなんて言うけど、そんなことをしたら、今度は後頭部まで差し出すことになるのが現代だ」
「でも返り討ちなんてしたら、あなたが罪に……」
  静雄はじれったそうに、
「そいつがこれから何年も君につきまとうことを考えてもごらんよ。毎日おびえて通勤しなくてはならない。電話の音にびくびくする。例え裁判で勝ったところで、刑務所から出てきてまで女を殺すような、ヘビみたいなストーカーだっている。誰も守ってはくれない。……そりゃ返り討ちなんてよくない。俺だってやりたくない。でも、殺されるよりはましじゃないか。俺は、誠意には誠意でこたえるが、不誠実にはそれを上回る不誠実で返す、っていう主義なんだ。それに正当防衛なら罪にも問われない」
「でもあなたが怪我をすることだって……」
「……わかっているよ。でも、それだって覚悟しなくてはならない時もある。平和というのは、危険をのりこえてはじめて得られるってことを、皆は忘れている」
  そのとき、玄関のほうから、かすかな金属音がした。鍵をまわすような音だ。
  静雄は人差し指を口にあて、
「おでましだ。こんな時間に来るのは、そのストーカーにちがいない。……君は、ベッドの陰に隠れててくれ」とささやいた。
  彼は、バットを両手でにぎりしめ、暗い玄関へ近づいていった。
  悦子は、息を殺してベッドの陰にうずくまった。心臓の鼓動を抑えるように、胸に枕をあてがい、うつむいた。
  カチャっとドアの鍵がひらく音がした。
  そのとたん、激しい物音が響いた。殴るような鈍い音のあとに、ガラスの割れる音がして、やがてドサっと重い物の倒れる振動が伝わった。
  静かになった。
  悦子はじっと、枕を抱きしめていた。
  足音がして、誰かが部屋にはいってくる気配がした。
  人影は電灯のスイッチをいれた。部屋は明るくなった。
  立っていたのは、静雄ではなかった。背広姿の、中年男だった。
  悦子は、青ざめた顔で男をみつめた。が、やがて安心したように、微笑した。
「よかった……」と彼女は言った。
  男は悦子をみると、ほっとしたように、
「やったよ、悦子。あの男は死んだ。これで安心だ」
「……静雄は死んだのね。お父さん、ありがとう」と悦子は、枕を抱いたまま笑顔をみせた。
「いきなりバットで殴りかかってきたので、好都合だった。そのまま、首をしめたよ」
「これからは、静雄に悩まされることもないんだわ。うちの財産めあてで、近づいてきたのはわかっていたの。だけど、強引で乱暴で、私こわくて……。最近は、お父さんの会社の役員にしろなんて言うし……」
「もう大丈夫だよ」
「あの人、私が別の男からつきまとわれていると聞いたら、顔色かえたわ。きっと、財産を横取りされると思ったのね。だから私、無言電話とか猫の死体とか、色々嘘を話したの。そうしたら、毎晩ここで張り込むようになって」
  父は落着いた眼で何度もうなずき、
「じゃ、悦子、警察を呼びなさい」と言った。
  悦子は心配そうに、
「お父さん、困ったことにならない?」
「娘に会いに来たら襲われた。だから、返り討ちにした。これのどこが罪なんだい? 自分の身は自分で守らなくてはいけないからね」と父は優しく笑った。

このページの一番上へ

感想を書く

ホーム戻る