ノベルる

終着駅

幸乃 恵実作
「私、カズ君と付き合おうと思うの。」


私とカズ君は、1年と7ヶ月と3日前、破局した。
理由なんて、ない。ただ、私には必要なくなった、それだけ。
大したことはない。どこにでもある、誰の日常にも起こりうる、ちょっとした出来事。

カズ君と破局してから1年と7ヶ月と3日。
私とカズ君が、再び同じ方向を向いて、一緒に手を取り合って、前に進むことはなかった。
カズ君は、そうしたいって。言ってくれたことも何度か会った。
でも、そのたび、私は断り続けた。
私には、カズ君のその熱い熱い手を握り続けている自信が、なかった。
だって、私が、溶けていなくなってしまいそうだったから。
自分を見失ってしまいそうだったから。
自分が熱いのが、自分自身の体温なのか、カズ君の体温なのか、それすらも
わからないほど、私はカズ君の手に慣れすぎてしまったから。

離して気付いた。カズ君の手は、それはそれは熱かったけれども、
私の一部ではなかったこと。
カズ君はカズ君。私は私。

カズ君の手を離してから1年と7ヶ月と3日。
カズ君がくれたおそろいの指輪はずっと私のお財布の中にいたけれど。
それが唯一の私達の繋がりだったのだけれども。
その指輪が、再び私の指に帰ってくることは、なかった。


1年と7ヶ月と3日。
カズ君と別れて、それから一人になった私を、支えてくれたのは令ちゃん。
令ちゃんは、大事な大事な大事な人だった。
いつも脱線する私を、線路に戻そうと必死になってくれた唯一の人だった。
だから、何もかもを信じていた。令ちゃんが言うことは、何でも信じてた。

令ちゃんは、いつもカズ君を手放した私を笑って責めた。

「あんなにいい男はいないよ」

そうか。私はそんなにいい男を逃がしちゃったんだ。
令ちゃんに言われると素直にそう思えた。
でも、あの手はもう一度は握れなかった。

溶かされちゃうのが怖かったのかもしれない。
熱すぎて自分の体温がわからなくなってしまうのが怖かったのかも。

1年と7ヶ月と3日。
私は、ほかの人を少しだけいいと思ったし、ほかの人の手を握ってみたいと
思ったし、ほかの人に抱かれてみたいとも思った。


4月1日。

カズ君の手を離してから1年と7ヶ月と3日目。

令ちゃんから電話が来た。


「私、カズ君と付き合おうと思うの。」


とっさに「おめでとう」
と明るく言った。

でも、すごく痛かった。体全体が痛かった。
心臓をナイフで刺されたのかと思った。
100メートル走をした時のように、心臓がドキドキしていた。
目から水が、勝手に流れた。

悲しくなんかないはずなのに。
私から手放した熱い熱い手だったのに。
私の熱が取られちゃう。

そう思った時には遅かった。

カズ君は令ちゃんの熱になった。
令ちゃんはカズ君の手を握った。

1年と7ヶ月と3日、何かを探していた私の手は、

空気を握った。



カズ君の手を離して2年と3日。
7月7日。

一年に一度、織姫さまと彦星が逢瀬を交わしているこの日。

私は、一人でまだ空気を握っていた。
脱線したまま。

今、私には、私を溶かしてくれるカズ君も、
脱線した私を線路に戻してくれる令ちゃんも、いない。

二人とも、自分から切ってしまったから。


2年と3日。
7月7日。

一年に一度、織姫さまと彦星が逢瀬を交わしているこの日。

私は今日も、この痛みに耐えながら、一人、一日が終わっていくのを見守る。


なんでもない一日。なんにもない一日。誰もいない私。

2年と3日経ち、
ようやく気付く、自分の中心。


「あ、私、あの熱が、必要だったんだ」

「あ、私、脱線したまま、もう戻れない」


2年と3日。
それはそれは、とても長い長い、私の旅路だった。
終着駅は、孤独。


2年と4日。
私は新しい旅に出ようと思う。
脱線したまま、冷たい冷たい自分の手をお供に。

2年と3日、私を守ってくれた指輪はもういない。
あの指輪は、本屋のごみ箱で眠ってる。
私のカズ君への気持ちも、ごみ箱できっと眠ってる。
もう起こすのはやめよう。

次の目的地は、

暖かい、手。

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